失敗することは聖書的である


<Q>
1、競争の原理により農業を政府からの保護に置かない考えを適用すると農業(今回は米{コメ}に論点を置いています)は壊滅してしまうのではないでしょうか?
なぜなら日本の米への需要が少ないからです。外国の大規模な農業から輸入した方が安上がりだからばんばん輸入する。結果、現在の食糧自給率は40%です。もし競争の原理に委ねたら日本の農家への需要がないと思います。飽食の時代の今、パンやめんなどの小麦類もたくさんあり米はあまり売れません。
だからこそ、政府が農家の生産量を規制しているのではないでしょうか?
それとも単純に輸入国家にして、日本の農業は切り捨てるしかないのでしょうか?

<tomi>
内容をよく読んでから質問してください。

(1)
農業を自由化しないと農業は強くならないと言ったのであって、農業をつぶしてもいいなどどこにおいても言っていません。
それから、保護政策をまったく取らなくてもいいとも言っておらず、保護関税は、ある意味において侵略の防止の側面があります。つまり、侵略とは、大砲によるだけではなく、貿易という形でもあります。
自国産業を育てる必要がある時期があり、その場合には保護が必要でしょう。
イギリスは、インドや中国に対して、アヘンなどの三角貿易の仕組みを作って構造的に立ち直れない打撃を両国に与えました。
明治政府はこの二の舞にならないように工夫をして乗り越えました。

(2)
今農協には、兆単位の巨額の資金があるとTVでやっていました。
これが、保護を受けるべき産業だとは思えません。

この資金は、行政による米価コントロールによって高い米を売りつけられてきた国民からの収奪の結果です。行政による市場介入が業界による圧力に左右されけっして平等ではないことの証左です。

翻訳業界は、職業として成立しないレベルに価格が設定されています。競争が激しいからです。
保護などありません。そんな業界は無数に存在する。

「農家はやっていけない大変だ」というが、翻訳家だって、駅前商店主だって「我々はやっていけない大変だ」と叫んでいる。

「いや、食料だけは別だ。食料を海外に依存すると国家の防衛にもかかわる」というでしょうか。

たしかにその側面はあります。米国は食料を戦略物質と考え、独占することを目指しています。

しかし、その理由が通用するのも程度の問題です。兆単位のお金が集まる業界がいままでのような保護を受け続けることは許されないような時期に入っていると思います。

素人考えですが、今の農家離れは、単に若者が都会にあこがれているからということだけではないと思います。農業をやりたがっている人はけっこういます。

問題の一つは、今の農業のシステムが共産主義だからだと思います。自由な参入を許さない閉鎖的な共産的な体制があるからではないでしょうか。米は10年ほどまえに自由化されているそうですが。

保護がなく世界の競争にさらされることによって、日本の電器業界は、優れた製品を世界中に輸出できる力をつけました。

こういう形での産業の発展が健全であり、補助金やら保護やらで生き残ると体質が弱くなる。

共産主義の目標の一つは「だれも失敗しない」というところにあります。しかし、失敗は必要であり、聖書的です。

失敗がなければ成功もない。試行錯誤する中において人は強くなり、技術は向上する。

競争を排除する考えは、聖書にはまったくありません。

<Q>
2、小泉首相が競争の原理を徹底して規制緩和をした結果、
勝ち組と負け組が生じて貧富の差が大きくなって問題となっているのではないでしょうか?
また繰り返しになって失礼ですが、負け組みは怠けて人々の需要に答えなかったから負けたということだけでもないと思います。1に述べた農業がその例です。食の多様化、貿易の発展により、日本の農家がいくら頑張っても、いくら外国より品質が良くても値段で決め付けられて(あくまでそういう傾向の話)需要がないのが現状ではないでしょうか?

<tomi>
このHPで何度も言っているように、「勝ち組と負け組み」ができることは悪ではありません。

自由の代価は、格差です。格差を嫌うならば、自由を捨てるべきです。

格差社会は、聖書的であり、イエスのたとえのなかで同じ資金を与えられて稼いだ人と稼がなかった人と報酬が変わると教えておられる。そして、神はがんばった人には高い報酬を与え、怠けた人はすべてを奪われ、がんばった人に与えられるべきだといわれた。(ルカ19章)

神の世界において、人間はその行いに応じて受け取るものも変わる。

さらに、自分の行いに関係なく、たとえば、その「食の多様化、貿易の発展」などの環境によって失敗することもあるでしょう。

それは、自由を得たい人が覚悟しなければならないリスクであって、当然のことです。

「失敗しないこと」は、政府が絶対に守らなければならない保証であるというのは、共産主義の思想であり、聖書の思想ではありません。

経験からも分かることですが、がんばった人は、幾度の困難や失敗を乗り越えて、神がご褒美を与えてくださる。

「求めなさい。そうすれば与えられます」です。

あきらめないで忍耐し、目標を達成することが求められている。

共産主義は、そのような聖書的努力を否定する「ゆがんだ方法」です。

 

 

2010年2月12日

 

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