飛鳥昭雄氏と三神たける氏による『失われたキリストの聖十字架「心御柱」の謎』(学研、297ページより)には興味深い情報が記されている。
伊雑宮は、伊勢神宮の10社ある別宮の一つと考えられてきたが、実は本当の価値を隠されてきたらしい。
1679年、江戸において『旧事本紀大成経』なる書物が刊行された。伊雑宮の神庫から出てきた秘伝であるとして、当時のインテリを中心に僧の潮音、長野采女、広田丹斉などが喧伝し、爆発的に広がったという。
この題名に含まれる『旧事本紀』は、一説によると聖徳太子が蘇我馬子に編纂させたものである。内容は、『古事記』や『日本書紀』に含まれなかった同時代の情報が記されているため、中世においては、記紀と並んで神道の根本神典『三部の神経』のひとつと考えられてきた。
だが、江戸時代になって儒学者の林羅山が『旧事本紀』を偽書としたため、評価は一転失墜した。徳川家綱も焚書を命じ、この世から抹殺された。
そのような中、1670年に『旧事本紀大成経』31巻本が刊行され、続いて先の『旧事本紀大成経』72巻本が世に出る。
内容は一貫して、「物部氏」の正当性が記されている。
伊雑宮のもっとも旧い神官の一族的矢氏が物部氏であるためであるかもしれないが、世間の注目を集めたのは、伊勢神宮に関する記述であった。
曰く、「本当の伊勢神宮は伊雑宮である」。
これは、本家の伊勢神宮の猛反発を招いたという。
伊雑宮という分家が、本家に対して「本当の本家は自分だ」というわけだから、争いを巻き起こすのも当然だった。
しまいには朝廷も乗り出す事態になった。結果、『旧事本紀大成経』は偽書であるということで一件落着となった。
今でもかつてのような記紀に匹敵する根本神典とみなされていない。
しかし、飛鳥氏と会った八咫烏のリーダー大烏は、伊雑宮が内宮と外宮に匹敵する第3の伊勢神宮であると断言した。
つまり、『旧事本紀大成経』の主張と一致するのだ。
これは、何を意味するのか。
藤原氏による物部氏の封印と関係している。
事実上記紀を編纂した藤原不比等が、何らかの目的で伊雑宮を隠し、伊勢神宮を内宮と外宮の二宮にした。
飛鳥氏と八咫烏の会話がある。
「なぜ伊雑宮を本宮からはずし、別宮のひとつとして世間から隠したのですか」
「貴殿はどう思う」
「それは・・・」
・・・
「伊雑宮が隠された理由、それは奥義だからです」
「貴殿のいう奥義とは、祭神のことか」
「はい」
「伊勢神宮の本当の祭神は造化三神だが、それは隠されておらん。記紀に、ちゃんと記されておる」
「ならば、奥義は伊雑宮そのもの。伊勢神宮が三宮から成り立っていることを隠すために、伊雑宮を封印しました」
「・・・」(303−304ページ)
以上の箇所を読んで私には思い当たるふしがあった。
1995年に伊勢神宮を訪れた際に、内宮と外宮を結ぶ参道に立っている灯篭にユダヤの六芒星がついているのを見た。
後で調べると、伊勢神宮曰く、それはユダヤではなく「伊雑宮」の社紋であるという。
どうして伊雑宮の社紋がここにあたかも「忘れるなよ」と言わんばかりになぜ付けられているのか。
既述のとおり、伊雑宮は10宮ある別宮の一つである。それなのに、なぜこのような格別の扱いを受けるのか。
理由は、伊勢神宮の第三の宮だからだ。
もともと伊勢神宮は、3つの宮から成り立っていたのだ。
外宮と内宮の心御柱が正中から西北・東南に外れているのは、伊雑宮を指し示すためだという。(304ページ)
では、なぜ藤原不比等は伊雑宮を隠したのだろうか。
それは、おそらく物部氏を消すためだろう。
八咫烏によると、物部氏は、徐福の子孫。徐福は、ユダヤ出身といわれる秦の始皇帝の血族で、イスラエル12支族のヨセフ族。
ユダヤ色そしてキリスト色を消すために、藤原氏は、伊雑宮を隠したのでは。
友人の川口氏は、1988年にたまたま訪れた籠神社の別宮真名井神社でユダヤのマークを発見した。
彼はそのとき、自分の先祖が建てたこの神社がユダヤであるならば、自分もユダヤ人に違いないと悟った。
同行の日蓮宗のお母さんも、それを悟り、クリスチャンになった。
後に、籠神社の宮司海部氏は、自分の氏族は物部の中心であり、籠神社も真名井神社も物部だと言った。
籠神社と、伊勢神宮の内宮と外宮、そして、伊雑宮を結ぶとまっすぐの直線になる。
そして、籠神社にダビデの星があり、伊雑宮にもダビデの星がある。
八咫烏によると、この両方の神社は、阿吽だという。
阿吽とは、アルファとオメガ、つまりイエス・キリスト。
さらに、伊勢神宮のご神体の最初の上陸地点が籠神社だとも。
伊勢神宮のご神体は、籠神社から長い年月をかけて伊勢神宮にたどり着いた。
そして、最初にそのご神体があった場所は、伊雑宮であったという。
そのご神体とは、十字架だった。
十字架は、伊雑宮にあったのだが、その後、内宮に移された。
現在は、十字架の上についた罪状書きだけがある。これを八咫烏は「首」と呼んだ。そして、この首こそが、十字架よりも重要なご神体であるとも。
籠神社は物部、そして、伊雑宮も物部。伊勢神宮のご神体の移動は、すなわち、物部の移動でもあった。つまり、実は、日本の中心神社伊勢神宮は物部の神社。
藤原氏は、それを隠したかった。
私は、藤原氏が「蘇我氏は廃仏派の物部氏を滅ぼした仏教派で、悪党である」との印象を与えたと推定する。
そして、日本書紀において、「自分こそはその悪党を大化の改新のクーデターで滅ぼした英雄である」と描こうとしたのではないか。
すなわち、自分こそ真の神道派、天皇家の神社伊勢神宮の支持者であると。自らの政権の正当性を示すためにこのような細工をしたのではないかと考える。
その場合、伊雑宮が真の伊勢神宮の第3宮であることがばれると自説にほころびが出る。
そこで必死に隠したのだが、物部氏は正中はずし、そして、灯篭の六芒星において真理を暗示した。
いろいろと情報を集め、論証の必要があるが、私は、日本の原宗教はユダヤ系キリスト教だと考えている。
その事実が、百済の王族を先祖に持つ藤原氏によって巧妙に隠されてきたと推察する。