ケインズとウェストコット=ホートと同性愛
若い頃、ジョン・メイナード・ケインズは、ケンブリッジで現代聖書翻訳の父祖ウェストコットとホートが設立した「使徒(The Apostles)」という秘密結社のメンバーであった。
ケンブリッジの時代に、ケインズは、「使徒」という名の秘密結社に所属していた。この結社には、リットン・ストラチー、ロジャー・フライ、クリーヴ・ベル、レオナルド・ウールフも参加していた。ケインズは、終生ここの会員であった。
http://www.tkc.com/resources/resources-pages/keynes.html
ウェストコットとホートは、このオカルト主義者を、すでに他の友人とともに設立していた2つの秘密結社に招き入れた。これらの結社は入会が非常に厳しく、そのうちの一つ「使徒(The Apostles)」は12人に限定されていた。ホートは、ジョン・エレントン牧師への手紙の中でこの結社へのかかわりについて「私はあなたが『使徒』への私の加入を許してくださらないことを恐れています」と述べ、さらに「メンバーの一人は物質の存在も否定しています」と述べ、自らこの結社のいかがわしい性格を認めた。
http://www.millnm.net/qanda3/16cP2NtqS65M89723.htm
ケインズの初期の恋愛とセックスの対象は、ほとんど例外なく男性に限られていた。
ケインズが熱心に関わりを持っていたブルームズベリー・グループでの態度は、同性愛に非常に寛容であった。彼の一番の愛人は、1908年に出会った芸術家ダンカン・グラントであった。ケインズは、リットン・ストラチーとも関係を持っていた。("The man who made us all Keynesians". The New York Times. 1986-05-11. http://www.nytimes.com/books/98/12/06/specials/skidelsky-keynes.html. Retrieved 2008-05-20.)
2009年11月16日
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