字義的解釈と象徴的解釈の区別48


> 教えていたなら必ずなんらかの形で残るはず。
> 進化論のミッシング、リンクじやないですから。教会は裁く権利がなかったけど、
> そんなに重要なら手紙のいたる所で石打は重要ですと書くはずです。

なんらかの形ではなく、いたるところに重要な形で残っています。
繰り返しますが、イエスは「律法を廃棄するのではなく、成就するために来られた」といわれたのであり、パウロは「信仰は律法を廃棄するのではなく、むしろ確立するのです」と述べています。また、ヤコブは「律法を裁いてはならない」と明言していますし、パウロは別の個所において「律法も言うように、・・・しなさい」と明言しています。

これらのことから、律法の一部であるところの石打刑は新約時代において廃棄されておらず、むしろ、確立されたと見るべきでしょう。

まず、この点をおさえてから議論しましょう。

 

 

2007年2月15日

 

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