政権の中枢にクリスチャンを送ろう
プレ・ミレの人々が「だんだん世界は悪くなっている」というが、悪くしている張本人はクリスチャンだ。
それは、クリスチャンが積極的に世界を悪化させているという意味ではなく、「無為無策」によって消極的に悪化させているのだ。
なぜならば、プレ・ミレは、「この世界はサタンの世界であり、それを変えることは不可能である」と考えるからである。
不可能であると考えるならば、世界の改善を祈る動機は消える。
日曜日に出席したある教会の礼拝において、牧師は、矛盾していることを語った。
「世界はイエス・キリストによって支配されている。だから、一日も早く善の住む世界にしていただくために、再臨を待たねばならない。」
「世界はイエス・キリストによって支配されている。」と聞いて、聖書的なメッセージだったので喜んだが、後半がよくなかった。
「だから、一日も早く善の住む世界にしていただくために、再臨を待たねばならない。」
どうして「一日も早く善の住む世界にしていただくために、祈って我々が活動しなければならない」と説かないのか。
「イエスが支配者である」→「今、イエスに完全に支配していただこう」と言わないのか。
なぜクリスチャン自身が祈りと御言葉によって世界を変えようと言わないのか。
ここに、サタンの洗脳の深さを見た。
ロイドジョーンズは、「世界を変えようとすることをやめなさい」とはっきりと言う。
福音派の指導者がこのような謬説に取り付かれているため、クリスチャンの影響力が世界から消えうせたのも無理はない。
人々はこう言うだろう。「私たちは非力です。政治家など権力者でなければ影響力を与えることはできません」と。
しかし、神は歴史の中において、非常に不思議なことをされる。
神の民を政権の中枢に送られるのだ。
エステルを見なさい。被支配民族ユダヤ人である彼女が王妃となり、王に影響を及ぼし、ハマンによるユダヤ人全滅計画を阻止した。
ダニエルも、ユダヤ人の身分でありながら、王の側近になり、影響力を行使した。
ヨセフは奴隷の身分からエジプトの第2の権力者にまで上りつめた。神は、ヤコブの家族を救うために、あらかじめ彼をエジプトに送り込まれた。
日本においても、重要な局面において、クリスチャンが中枢に入り込まれた。
宣教師フルベッキは、明治天皇、西郷隆盛、勝海舟、坂本竜馬などを通じて、国政に大きな影響を及ぼした。
徳川幕府300年の間、キリシタン迫害があったから、反キリストの霊が働いたとも言えるが、しかし、異なる立場から見れば、これによって、日本は、マリア崇拝など異教的要素の強いヤペテ系キリスト教であるローマ・カトリックの支配から守られたとも言える。
神は日本に純粋なキリスト教が回復するまで、異なる教えがはびこらないように防がれたのかもしれない。(*)
(徳川自体秦氏であり、幕府の中枢には秦氏の影響が強かった。)
どんなに我々が弱くても、神は我々の中から誰かを中枢に送って、国政に影響を持たせることが可能なのだ。
神に不可能なことはない。だから、我々が祈ることによって、神に奇跡を行っていただき、我々の影響力を行使することは可能である。
だから、「再臨を待ちましょう」というメッセージは、この千年王国である我々の時代において不適切なのだ。
現代は、キリストが王の時代である。そして、我々クリスチャンも王である。
だから、我々には統治する権限がある。
ヒューマニズムに基づく政治が限界に達している現在、神は我々に様々な打開策を教えてくださり、それによって国政を救うことができるだろう。
あきらめてしまうのは、王にふさわしくない。それは、実質的に神を否定することに等しい。
冒涜に陥らないために、我々は、この行き詰まりの解決を主に求めるべきだ。
そして、誰かを政権の中枢に送り、政治を聖書的な方向に導いてくださるように祈ろう。
(*)
ちなみに、今、相撲界がモンゴル人によって支配されているのは、一種の警告ではないのか。
13世紀にモンゴル人が東ヨーロッパから中国まで支配したのは、一種の裁きであったかもしれない。聖書では、異民族による支配が刑罰として描かれている。
西ヨーロッパと日本はこの刑罰から守られた。
今の時代、政治的にそうではないが、相撲という国技において、異民族に支配されるということは、相撲界の堕落ひいては日本の堕落に対する神の警告なのかもしれない。
朝青龍の傍若無人の振る舞いを見ると、元寇を思い浮かべるのは私だけではないはずだ。
2008年12月3日
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