空海は洗礼を受けていた


日本の仏教に多大な影響を与えた空海は、キリスト教の洗礼を受けていた。


高野山に真言密教を創建した空海
803年、空海(弘法大師)は最澄と共に入唐し、景教を身につけ、潅頂(頭に潅ぐの意で、キリスト教の洗礼)を受け、「遍照金剛」という洗礼名を受けました。
「あなたがたの光を人々の前で輝かせ」という、マタイ5:16の漢語聖書からとったものでした。
彼は帰国後、高野山に真言密教を創建します。
空海は新約聖書を持ちかえり、最澄は旧約聖書を持ち帰ったということです。
しかし、二人は喧嘩してしまいます。
最澄は天台宗を創建し、空海は真言宗を作るわけですが、彼の仏教は釈迦が説いた原始仏教とは似ても似つかぬ教えで、「景教と混合した仏教」でした。
空海と景教徒の景浄の出会い
長安で、彼は景教徒の景浄に会います。
彼は「大秦景教流行中国碑」の碑文を書いた僧です。
彼は、61才死に就こうとするとき、「悲しんではいけない。わたしは・・・・弥勒菩薩のそばに仕えるために入定(死ぬ)するが、 56億7000万年ののち、弥勒と共に再び地上に現われるであろう。」と言いました。
弥勒とは、へブル語のメシア、ギリシャ語のキリストであり、原始仏教にはなかった「キリストが再臨するときに復活する」というキリスト教信仰、景教の信仰と同じものです。
真言宗では、法要の最初に胸の前で十字を切るとか、高野山奥の院御廟前の灯篭に十字架がついているとか、景教の影響がみられます。
http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/history/japan/index4.html

日本仏教にキリスト教と似た教義がある理由はこれで明らかだ。

いや、むしろ日本仏教は、キリスト教の変形であるとすら言える。

もともと仏教には天国も地獄もない。一種の哲学である。

哲学である仏教が礼拝、冠婚葬祭など宗教の姿を取るには、キリスト教が必要だった。

空海がもし本当に信仰を持つクリスチャンであったならば、四国八十八箇所の霊場が剣山の結界であるという説にも信憑性が出てくる。

 

 

2008年9月7日

 

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