マキアベリズムは非聖書的か


<N.M.様>

マキアベリズムのようなものは、聖書とは
相容れないのでしょうね。
でも、会社経営や国家運営を考えた場合、
善良なだけのクリスチャンでは、うまく
いかないような気がします。

とはいえ、再建主義者なら、なまくらな社員の
ケツを蹴り上げることも出来そうですが。(笑)

誰かが、脳卒中で倒れなければ一日が終わらない
ような職場も、アメリカには少なくないと思いま
すが、再建主義者は、このような職場を肯定でき
ますか?

あまりにも俗っぽい質問ですみません。

<tomi>

N.M.様、ご投稿を感謝します。

どうでしょうか。アメリカの職場事情に詳しくないのですが、アメリカ人は権利意識が強いので職場が非人間的ならば辞めてしまうと思いますが。

日本の場合、金を出している人間は、自分が金をもらっている人間に対して神のごとく振る舞い、あらゆる部分に干渉する傾向がありますが、そういった人々を教育して雇用契約の範囲を明確に示してあげるのも従業員の務めではないかと思います。

こんなことを言うと、どこでもやっていけなくなる、と言われそうですが、私は個人的にこういった自分の出世とか雇用とか家族の犠牲とかを甘受することなしに、日本の雇用者の常識を崩す方法はないと思っています。

労働組合もその一種なのでしょうが、だいたい御用組合化しているので、もう個人的に頑固に権利主張していくしかない、と思います。

正社員という日本の制度は、会社と運命をともにするということを前提に成立しています。だから、生活や個人的な趣味までも立ち入ってきて、もうほとんど奴隷状態です。

バブル崩壊以後かなり変わったとは思いますが、私は、数字以外で一切勝負する必要がない、それ以外についてとやかく言わない、というような風土が必要ではないかと思います。外資系はその点日系企業よりもいいようです。

仕事というのは、自分のためにするもので、もし仕事で健康を害するようならば、本末転倒なのですから、神様を信じてそこから飛び出す以外にはない。

私は、ただ単に口だけにならないように、「神様が与えてくださる」という信仰によって生きていくことができることを実践したいと考えて今までやってきました。たしかに独立してやるのはきついですが、それは会社にいても同じ。日本人の一般的水準とか、世間体とかを気にすれば成立しませんが、クリスチャンはそんなもの気にする必要がない。

考え方を変えればしゃにむにがんばっている人を神は見捨てられない。これが、出エジプトの際に天から降ってきた「マナ」の信仰だと思います。

マキャベリズムについては、「正しい」ということと、「愚直」ということは別です。聖書は「愚かになれ」とは言っていません。

「クリスチャンのスパイは敵陣においても真実だけを語らねばならないのか?」なんて質問は愚かです。

会社経営にしても、国家経営にしても、商売敵や敵国に対して正直に自分の秘密を漏らしてもよいなんてバカなことを聖書は教えていません。

聖書ではウソをついた人々が賞賛されています。ラハブは、敵国人に間違った情報を提供してイスラエルのスパイを救い、「信仰の人」と賞賛されています。

神をも裁くことのできる、神とは別に存在する善悪の基準などこの世に存在しません。万物が無から創造された以上、神以外に基準は存在しないのですから、「神が善と宣言したものが善であり、神が悪と宣言したものが悪」なのです。

聖書では賄賂をもらうことは禁じられていますが、賄賂を渡すことは禁じられていません。「え〜っ!」と驚かれるかもしれませんが、箴言では「ひそかな贈り物は怒りをなだめ、ふところのわいろは激しい憤りをなだめる。」(21・14)、「人の贈り物はその人のために道を開き、高貴な人の前にも彼を導く。」(箴言18・16)といわれています。

東南アジアのある国では、役人の給料が低いため、税関で賄賂を渡さないと手続きが遅れて立ち行かないと聞きます。そういった場合、賄賂を渡さざるを得ないでしょう。

日本の付け届けの習慣も一種の賄賂なわけで、こういったものをクリスチャンは絶対にしてはならないというならば、この世で生きていけなくなります。

聖書が基準であるならば、人間の善悪の判断基準を捨てて、聖書に従うべきと考えます。

 

 

2004年4月29日

 

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