公共の幻想を捨てよ


NHKは、古い時代の遺物である。

新しい時代は、市民の義務よりも自由を強調する時代である。

昨今、NTT、国鉄、公立学校など、国の理念に基づいて作られたシステムが続けて崩壊している。

NHKも同じだ。

NHKが存在しているのは、「公共放送」という理念があるからだ。

NHKの職員と話すと、受信料は「サービスの対価」ではなく、「公共放送への支援」であるという。

「公共」?

こんなもの誰が決めた?

進化論は公共なので宣伝すべきだと?

我々は、進化論など信じていないし、公共のものでもないと考えている。

「公共のものだから金を払え」というならば、「NHKさん、あなたのやっていることは我々からすれば公共ではないから、金を払うつもりはありません」と言いたい。

自由社会というのは、「公共」を持ち出さない。

自由社会とは、個々人と個々の家庭が自分が認めたものを自由に選択し、選択したものに金を払うシステムである。

警察や国防など以外の、国やら組織やらが定めた公共物に強制的に金を払わせられる社会は、社会主義である。

例えば、文科省がサザンオールスターズの歌が載った教科書を指定教科書として認めたらしいが、サザンオールスターズは自分の子供には好ましくないから教科書として採用するのを控えたいと考えている両親は、代金を払うことを拒否したいだろう。

このような支払い拒否を許さないのが社会主義である。社会主義者は、自分達の思想が公共であると勝手に考えて、そう考えないクリスチャンにその思想を押し付ける。

NHKも、この「公共の幻想」の産物である。

自由社会とは、聖書が定めた国の義務に対する経費支払い以外の支払いを拒否できる社会である。

自衛隊や警察や裁判所など聖書が国の義務として定めた制度を支えるために市民は税金として金を払わなければならないが、それ以外のことについては自由なので、例えば、「公共放送」なるものに金を払う必要はないのだ。

私は紅白歌合戦をここ20年ほど見ていない。ああいうのを見るのは時間の無駄と考えている。あれを楽しみにしている人もいるだろう。個人の自由である。

紅白歌合戦に何億か知らないが巨額の経費が掛かっているならば、そんな経費のために自分の金を使って欲しいとは思わない。

聖書において、「共同体が定めた余興行事に金を出さねばならない」などという規定はない。

趣味に属することは、個人の自由であると同時に、社会的強制力はない。

自由社会とはこういう区別をきちんとする社会だ。

個人の趣味にまで強制力を働かせる社会として有名なのはヒトラーの社会である。

絵画や芸術にまで国の規制がかかった。

国民は「健康」にならなければならなかった。

本来国民の所有者でもなんでもない一介の下級兵士が、ドイツ・オーストリアなどの国民に対して自分の理念を押し付けた。

国民を所有しているのは神以外にはない。

だから、神は健康になることを要求できる。しかし、ヒトラーには許されていない。

「公共の幻想」は、国民を所有し、国民に自分の理念を実行させようとする独裁者の狂気の産物である。

 

 

2007年7月9日

 

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