<Perter様>
Perter様がお送りくださった引用文章:
ヨハネ14章についてのフットノート
この章は、神がご自身を人の中に分与される道を啓示しています。ご自身をわたしたちに分与することで、
神は三一です。神は一であり、しかも三、すなわち父、子、霊です。御子は御父の化身、表現であり (7−11節)、その霊は御子の実際、実現です(17−20節)。御父は御子の中で(御子は御父とさえ呼ばれています―イザヤ9:6)表現され、見られます。御子はその霊として(Uコリント3:17)啓示され、実際化されます。御父は御子にあって、信者たちの間で表現され、御子はその霊として、信者たちの中で実際化されます。
<tomi>
「御子は御父の化身、表現であり(7−11節)、その霊は御子の実際、実現です(17−20節)。」とありますが、これは、サベリウス・ユニテリアンの信仰であり、三位一体信仰ではありません。
父は子と化し、御子は御霊と化す。三位はすべて父の化身。
三位が一体であるというのは、変化ではなく、「三位は別人格として同時に多として存在するが、互いに契約を結んで法的に一体となっている。」ということです。
父子御霊は、互いの独立した3つの人格(位格)です。しかし、この3者はばらばらではなく、一つの共同体を形成し、契約的に(法的に)一体となっています。
これは、結婚と似ています。男女は夫婦となると一体になりますが、しかし、個人としては別の人格です。姦淫が重い罪なのは、夫婦契約は神の三位一体間契約を象徴すべきだからです。
オーケストラの楽器は互いに別の音色を出しますが、しかし、指揮者のもとに団結し、一つの楽曲を奏でます。それは、あたかも一つの楽器のように一体化します。
これらの楽器は、それぞれ存在論的にはばらばらですが、契約的には一体です。
サベリウス主義やそれに類する教えは、「楽器は一つしかない。場合によって自らの姿を変えて別の楽器になり、違った音色を奏でるのだ。」と主張します。
正統派の三位一体論は、「楽器は複数ある。それが同時に異なる音色を演奏し、ハーモニーを奏でるのだ。」と主張します。