世界は絶対にキリスト教化される
あるサイトで、欧米人の「個人主義」に対して日本人の特徴は「集団主義」であり、それゆえに、個人主義的であるキリスト教が日本に根付くのは永遠に不可能だと結論されていた。
(1)
もちろん、これを書いた人物はノンクリスチャンである。
ノンクリスチャンの生活原理とは、「目に見えることで判断する」というところだ。
つまり、「不信仰」である。
だから、科学的データを集めて、「科学的な」結論の出し方をするわけだ。
もしこの世の中が科学的データから論理的に推論するものだけに頼るならば夢も希望もない。
人間の心は「低きに流れる」性質を持つのだから、世の中はどんどん悪くなると結論しても不思議ではない。
ヒューマニズムの「科学理念」は不可避的に絶望に導くのである。この世が科学法則だけで成立しているならば、その科学法則はたとえば、「宇宙においてエネルギーは平衡化し、秩序は無秩序に不可逆的に移行する」と教えているわけだから、最後は温度の高いところも低いところもなくなって一様な不活発な世界にいたると結論する以外にない。
ヒューマニズムに従えば、宇宙は「平衡に向かう過程」であり、人生は「死に向かう過程」であり、歴史は「破局に向かう過程」である。
しかし、聖書は逆のことを教えている。黄金の未来が待っているというのだ。
聖書の基本中の基本の原理は「復活」である。宇宙も、人間も、歴史も死に向かっているのではなく、「回復」に向かっているのだ。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」(ヨハネ5・24)
死からいのちに、絶望から希望に、諦めからやる気に移行しているのだ。
ヒューマニズムは「諦めの教え」である。しかし、キリスト教は希望を教えている。
(2)
イエスは、「全世界の民族を弟子とせよ。」と言われた。「弟子とせよ」と命令されたということは、すなわち、「弟子とできる」ということを意味する。できないことを命令されるはずがない。
イザヤ書など旧約聖書が描く世界の未来は、「諸国民が律法を求め、聖書の教えを喜ぶ」ということであり、「神の言葉が海の水のように全地を満たす」ということである。
聖書は一貫して、世界は最終的にキリストのものになり、キリスト教化されると主張している。
欧米人は個人主義で、日本人は集団主義だからキリスト教は定着しないと、よく言われるのだが、キリスト教が入る以前のゲルマン社会は集団主義だった。それがキリスト教が入ったことによって、個が次第に重視されるようになったのだ。
最初から個が自立している社会など存在しない。ヨーロッパにおいて個が自立したのはキリスト教の「神と個人の契約」という考えが入ったからである。
キリスト教は全世界を変える運命である。これは神の計画なのだ。だから、キリスト教化されない民族は存在しない。
サッカーのワールドカップで優勝したブラジルの選手たちが、輪を作って祈っていた。彼らのTシャツには「ジーザス」と書いてあった。
ブラジルでクリスチャンの影響は大きいのが分かる。
プライドのミドル級王者ヴァンダレイ・シウバは、「凶暴」で知られているが、控え室でいつも祈っている。
意外と、格闘家にはクリスチャンが多い。
韓国のサッカー代表チームの大半がクリスチャンだと聞く。
世界はキリスト教化されつつあるのだ。
(3)
この流れは、いずれ日本をも巻き込むだろう。
「いや、世界で今元気なのはイスラムではないか?」といわれるかもしれないが、アラブ人は、アブラハムの息子イシマエルの子孫であり、格別の祝福を受けている民族である。
ユダヤ人とアラブ人の回復は同時に起こると考える。今のような異邦人の時代において、ユダヤ人から遠い民族が先に救われているが、異邦人とユダヤ人の融合の時代には、血縁的にユダヤ人に近い民族が救われるようになるだろう。
現象を見て、日本人はキリスト教を受け入れないなどと即断してはならない。
神の力は絶対であるから、日本人がどんなに抵抗しても救われてしまうのだ。
世界は絶対に回復する。
神が絶対である以上、絶対に回復する。
2004年6月2日
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