スカル・アンド・ボーンズと米キリスト教界


あるスカル・アンド・ボーンズ出身者がキリスト教界に与えた多大な影響についてゲイリー・ノースが記している。

http://www.freebooks.com/docs/html/gncf/Chapter06.htm

ヘンリー・スローン・コフィンは、有名な家具製造会社W. and J. Sloane & Co.の社主の家に生まれた、巨額の資産の相続者であった。

兄はニューヨーク市メトロポリタン美術館の館長として、アメリカ文化に大きな影響を与えた。

イェール大学在学中に著名な福音伝道者D・L・ムーディに出会い、福音を受け入れた。ムーディは、有名なマサチューセッツ州ノースフィールド大会(1880-1899)において、この若者に大きな興味を覚えた(Ibid., p.25.)。

しかし、その後、内面に何らかの変化が生じ、コフィンはムーディの神学を捨て、異なる神学的立場で任職を受けた(1900年)。

1896年、大学3年のとき、彼は、スカル・アンド・ボーンズからスカウトされ、その年の入会者15人の一人に選ばれた。コフィンの父親もスカル・アンド・ボーンズのメンバーであった。

スカル・アンド・ボーンズは、1832年に創立された非常に影響力のあるイェール大学の秘密組織であり、1977年に『エスクワイア』誌に紹介記事が出るまでは、会員とイェール大学生以外にはほとんどまったく知られていなかった。

アメリカの一般大衆に知られるようになったのは、やっと1988年にジョージ・ブッシュ・シニア(ボーンズマン)が大統領になってからである。(新聞漫画家ゲイリー・トルデューが、1988年ドゥーネスベリ漫画(Doonesbury cartoon strips)においてブッシュとスカル・アンド・ボーンズとの関係を取り上げた。トルデューもボーンズマンであった(Duncan Maxwell Anderson, "The Club," Success! (May 1987), p. 57.)。)

ブッシュ以前のスカル・アンド・ボーンズ出身の大統領は、ウィリアム・ハワード・タフトである。彼は後に合衆国最高裁の首席判事になった。大統領と最高裁首席判事の両方になったのは先にも後にも彼ひとりだけである。

タフトの父親は、スカル・アンド・ボーンズの創設者の一人であり、グラント大統領の下で戦争省長官、司法長官を、アーサー大統領の下でオーストリア公使、ロシア大使を歴任した(参照:Antony C. Sutton, America's Secret Establishment: An Introduction to The Order of Skull & Bones (Billings, Montana: Liberty House, 1986), p. 8.)。

スカル・アンド・ボーンズの人脈は、アメリカ社会の多くの業界において重要なポストを得るための貴重な踏み台である(Ron Rosenbaum, "Last Secrets of Skull & Bones," Esquire (Sept. 1977), p. 85.)。

その入会式と会合は、イェール大学内にある「墓」と呼ばれる建物の中で開かれる。入会式では、入会者は一晩中棺の中に横になる。

この儀式を受けて入会を許された者は、アメリカン・エスタブリシュメントと呼ばれるアメリカの支配者層に速やかに受け入れられてきた。

1916年、彼はユニオン神学校の学長の職に推薦された。その際は辞退したが、1926年に受け入れ、1945年まで務めた。

1910年、1200人の宣教師を集めて開かれた世界宣教大会(エジンバラ)において、ニューヨークのマジソン・アヴェニュー教会の牧師であったコフィンは、「キリスト教倫理の目的」という題でスピーチをした。これは長老教会の未来を示していた。というのも、コフィンはダーウィン進化論の唱道者であり、進化論は、倫理に目的はないと主張していたから。

1911年、彼は社会福音をはっきりと唱える『十字架の社会的側面』という本を著した。ウォルター・ローシェンブッシュの『社会福音のための神学』の6年前のことだった。

1910年、彼は、アンブローズ・ホワイト・ヴァーノンとともに、新しい賛美歌集『神の御国の賛美歌』(Hyms of the Kingdom of God)を出版した。

編者の注にはこう書いてあった。

「(我々の方針は)歌詞が美しく、通常の、健全な霊的体験を表した賛美歌しか載せないということにあった。神学的に論議を呼ぶものは含めなかった。…」(Cited in Morgan Phelps Noyes, Henry Sloane Coffin: The Man and His Ministry (New York: Charles Scribner's Sons, 1964), p. 107.)

これは、1910年から1926年にリベラル派が掲げたスローガン「経験と合同」の表現である。

この賛美歌集はまったく売れなかったが、編者コフィンの伝記作者によれば、「アメリカの教会が取り入れた他の讃美歌集に深い影響を与えた」(Morgan Phelps Noyes, ibid., p. 208.)。

スカル・アンド・ボーンズというオカルト秘密結社の出身者である人間が、悔い改めもなく任職を受け、書物を著し、讃美歌集を出版し、宣教師の大会でスピーチをし、主要な神学校の学長を務めたという事実を、我々はいかに評価すべきだろうか。

 

 

2006年2月6日

 

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