公共の名のもとで進む個人の自由への侵害2
この鳩山首相の言葉のもう一つ危うい点は、「税金を人々のコントロールのために使える」という発想だ。
よい意味でのコントロールだからいいじゃないかと思うかもしれない。つまり、「健康のため」という。
よい意味で税金をコントロールの手段に使えるなら、悪い意味で使うことがどうしてないと言えるだろうか。
米国最高裁がかつてこういった。
「課税権は破壊権だ」と。
課税するということが無制限にできるならば、それによって個人は破壊される。
国家権力を制限するためには、課税権を制限する必要がある。
今のように、課税率の上限が設定されていない状況は、いつ国が暴走して我々の権利を侵害するか分からない恐ろしい状況なのだ。
子育て支援とか高校の無料化とか、こういう「人々への心配」は、実は国が個人を管理し、支配するという近代の国家主義思想の延長なのだ。
それは、ソ連や中国を生んだ社会主義の思想であり、形を変えた独裁主義だ。
こういう国の個人に対する越権的支配は、構造上不可能であり、このような体制は早晩崩壊する。
だからソ連は立ち行かなくなったし、中国は路線転換した。
そのような失敗した体制を持続させるためにがんばっているのが民主であり、自民である。
健全な二大政党制が維持される必要があるとか言われているが、どちらも社会主義であれば、維持など無意味だ。
民主が社会主義をやるなら、自民は自由主義をやらねばならない。
しかし、自民にはこういった歴史を俯瞰できる人間がいない。
代替案がないから、いったん崩壊したらそれをとどめるものは何もない。
立ち直れるかどうかは、「小さな政府」主義を徹底し、綱領として持つかどうかにかかっている。
どうしてそれができないかというと、バックにいる外国の人々がそれを望んでいないからだ。
日本の政治は、米国の売国奴と中国の売国奴の戦いであるが、そこにおいて、その支配者の米国も中国も同じ社会主義者に牛耳られている。同じ社会主義者が、米国を動かし、中国も動かしている。
日本の政治に未来がないのは、右に行っても左に行っても社会主義の泥沼に行き着くからだ。
解決は、新しい勢力を作ること。
自民の似非自由主義ではない、本当の自由主義を唱導する党を作ること。
日本にはこんな政党は皆無だ。
米国にはロン・ポールがいる。
こういう新しい動きを作ることができるのは、クリスチャンしかいない。
だから、我々に日本の将来がかかっている。
そういう自覚をどれだけクリスチャンが持てるかにかかっている。
2009年12月25日
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