学校を寺子屋に戻せ
学校がいじめを見逃したため子供が自殺した、ということで学校を訴える。
学校は全知全能だろうか?すべてを把握できるか?
自分の子供がいじめの被害を受けているならば、学校を替えるか、家庭で教育するか塾でもいかせるかしたらいい。
子供を守る第一の責任は親にある。
「でも、学校は絶対に行かせなければならない場所だから。。。」???
われわれ社会人だって、「絶対に行かなければならない場所」なんてない。
われわれがもし会社に行きたくないならば、辞めればいい。
ある人と会いたくなければ会わなければいい。
もし僕が誰かから「あのコンビニの前に座って話している若者の中にはいって友達になれ」と命令されたら、僕は「いやです。」と答える。
僕は友達になりたくない人間と友達になる義務を負わない。一生。
刑務所は別だ。刑務所はその立場になればどうしても行かなければならない。接する人を選べない。
しかし、この社会において、接する人を絶対に選ばねばならない場所なんてないんだ。
そのような自由がわれわれにあるにもかかわらず、なぜ子どもにそれを強制するのか?
地獄のような苦しい環境になぜ送り込まねばならないのか?
そんなことをしてそれでも親か?
学校に行きたくなければ行かない自由を与えろ。
「ただ、勉強はしなければならないぞ」と言って。
自分に合わない人間と無理して付き合う必要はない。
そんなことで貴重な人生を無駄にする必要はない。
しかし、学校はそのような無駄を子供に強制している。
影響を受けなくてもいいレベルの低い人間の中に放り込んで子供をだめにしている。
子どもから「誰と接するか」という自由を奪っている今の社会は、非常に有害である。
僕は、学校制度を昔の寺子屋のような自由参加のようなものに戻すべきだと思っている。
2010年11月26日
ツイート
ホーム