二重契約説を否定するとクリスチャンには天の玉座に座る権利は失われる2
聖書の契約観において、契約の代表者は非常に重要な概念である。
契約の代表者は、その契約のメンバーと「一体」である。
家族の契約において、代表者である家長と、家族のメンバーとは一体であり、家族は神の前に「一人」として立っている。
(不可視的)教会の契約において、代表者であるキリストは、教会のメンバーと一体であり、教会はキリストにあって神の御前に「一人」として立っている。
アダムの契約において、代表者であるアダムと、人類、そして、被造世界全体は一体であり、被造世界全体は神の前に「一人」として立っている。
神が集団と結ばれる契約の場合、その集団は「一人」と見なされるのである。その集団は、一つの肉体のようであり、そのメンバーは細胞のようである。
この図式が頭に入っていないと、「アダムの契約は恵みの契約であった」というような誤解が生じるのである。
考えていただきたい。
「恵みの契約」とは、文字通り「恵みに与かる契約」である。
「恵み」とは、「価無しに与えられるもの」である。
つまり、聖書において「恵みの契約」とは「キリストの功徳に与かる契約」である。
もし、アダムが当初に結んだ契約が「恵みの契約」であるならば、契約の代表者はキリストということになるので、アダムが罪を犯し、その結果、アダムをはじめ人類全体に死が入り、被造物も虚無に服したのであれば、それと一体であるキリストも罪に落ちたということになるのである。
聖書はそんなことを言っていない。
創世記におけるアダム契約は、キリストとは何の関係もない。
アダムの行動の責任は、被造世界全体に及んだが、キリストとは無関係である。
この無関係性を証明するためもあって、キリストは、処女から生まれたのである。アダムの血を受け継いだならば、アダムと一体なので、アダムと同じ運命(滅び)をたどる。
キリストはまったく新しい創造であり、旧人類との断絶であり、新人類の始祖である。
キリストは、第2のアダムとして、アダムが失敗した試験に合格し、ご自身を代表者とする新しい契約の中に加わるメンバー(クリスチャン)をも「義」としてくださった。
これは、キリスト教の中心的な教義であり、この点で誤謬があれば、全体が狂ってくる。
とても、小さな失敗とはいえない。
最近、人々が次々と誤謬の中に落ちて行くのはなぜだろう?
サタンが猛攻撃を仕掛けているとしか考えられない。
2004年3月16日
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