字義的解釈と象徴的解釈の区別26


<Q>
被害者が加害者の償い方を決める事ができる、との事ですが。故意で殺した場合は被害者側の家族、および親族は、例えば命で償なわなくて良い、労働で償いなさい。と言う事はあるのでしょうか。お願いします。

<A>
まず、殺人の場合、被害者は亡くなっています。

また、故意の殺人の場合、聖書は、「祭壇のところにいてもそこから連れ出して処刑せよ」と命じています。

「しかし、人が、ほしいままに隣人を襲い、策略をめぐらして殺した場合、この者を、わたしの祭壇のところからでも連れ出して殺さなければならない。」(出エジプト記21・14)

昔犯罪者は祭壇の角をつかんで罰を免れようとしました。

「アドニヤもソロモンを恐れて立ち上がり、行って、祭壇の角をつかんだ。
そのとき、ソロモンに次のように言って告げる者がいた。「アドニヤはソロモン王を恐れ、祭壇の角をしっかり握って、『ソロモン王がまず、このしもべを剣で殺さないと私に誓ってくださるように。』と言っています。」
この知らせがヨアブのところに伝わると、――ヨアブはアドニヤについたが、アブシャロムにはつかなかった。――ヨアブは主の天幕に逃げ、祭壇の角をつかんだ。」(1列王記1・50、51、2・28)

祭壇はキリストの犠牲を象徴していますので、祭壇の角をつかむという行為は、キリストの犠牲にすがるということを意味しています。

祭壇のところからでも連れ出して殺せ、という命令は、故意の殺人には、社会的に、贖いが適用されないことを示しています。

これらの理由から、私は、故意の殺人には処刑しか方法がないと考えています。

 

 

2007年2月3日

 

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