プレテリズムの聖書解釈8


フルプレテリズムは、「紀元70年に天地が滅んだので、律法も無効化した」という。

そして、「律法が無効化したので、我々は裁かれることがなくなった。律法を守れなくてもよしとされるようになった」という。

私がフルプレテリズムを異端と呼ぶのは、「律法による裁きから逃れる方法がキリストの贖い以外のものになっている」からである。

聖書の最も重要な主張は、

「我々が神の怒りから逃れることができるのは、キリストが身代わりに十字架上で律法の呪いを受けてくださったから」

ということにある。

しかし、フルプレテリズムは、

「我々が神の怒りから逃れることができるのは、70年に天地が滅んで、律法が無効化したので、もはや律法が我々を裁くことはできなくなったから」

と唱えるのである。

これは、キリストの救いを不要にする決定的な誤謬である。

こんな教えを信じてはならない。

フルプレテリズムの律法観を信じれば、実質的に我々は、異端になる。

天地が滅んで、律法が無効になったのであれば、キリストの犠牲を信じなくても人は救われるということになる。

問題は「環境の変化」にあって、「悔い改め」にはない、ということになる。

こんなのは、キリスト教ではない。

我々は、自分の罪を悔い改めて、キリストの身代わりの十字架を信じる以外に救いはないのである。

天地が滅んで律法が消えてしまったことは救いにならない。

キリスト以外に救いの道を開くフルプレテリズムの教えは、現代に登場した新しい異端の教説であり、我々は、一日も早く彼らとの関係を断ち切るべきである。

 

 

2004年10月27日

 

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