事業仕分けに見る絶望
借金まみれになる人の特徴は、「まず必要ありき」の思想だ。
(ここで今借金をしている人がすべて悪いというわけではない。事情によって(たとえば盗難や詐欺、賃金未払いにあって)借金に巻き込まれることもあるので。)
ある知人は、後半生借金で苦しんでいる。
彼を見て思うのは、借金をしているわりには買い物をよくするということだ。
行く度に何か増えている。
「訪問販売員からこれを買った」と。
まず買いたいという衝動が自分の実力よりも優先する。
これを続ければ確実に破産する。
さて、今事業仕分けというものを見て思うのは、国がやっていることはこの破産者と同じことだ。
「まず必要ありき」なのだ。
こういう家族を考えてもらいたい。
つまり、一家の一年の予算を組むときに、それぞれから希望を聞く。
「お母さんは何がほしい?」「私はダイヤの指輪。」
「お兄ちゃんは?」「僕は、こんど出たハイスペックのパソコン。」
「おねえちゃんは?」「私、グアム旅行。」
そこでお父さんがいう。
「じゃあ、今年の我が家の予算は1000万だ。」
しかし、お父さんの稼ぎは、600万だった。
あとはどうするか。借金だ。
この一家、数年後には夜逃げか離散だ。
必要が、実力よりも優先されるような経済は、土台間違っている。
日本は世界の諸国とともに、この間違った経済に汚染された。
その基本には、国が金によって国民全体を支配するという野望がある。
事業仕分けで、地方に移管する決定がなされたときに、中央の役人が「その権限は私たちに残しておきたいと思います」と言っていた。
つまり、中央による地方支配。権力の一元化。
この「独裁主義」が今日の累積赤字の原因なのだ。
国が神となって国民のあらゆる生活に干渉したいと。
コントロールしたいと。
遠因は、ヘーゲルの、国家を「地上を歩く神」とした「国家主義」だ。
そのヘーゲル思想の源には、カントがいる。
カントは、神を排除して世界を人間だけで支配することを目的とした「人間教(ヒューマニズム)」を作った。
人間が、神を捨て、神の法を捨てて、自律しようとしたこと。
これこそが今日の破産経済の源だ。
カントとヘーゲル以降、世界は国家という偶像に振り回されている。
義務教育の学校とは、この人間教の礼拝所兼教育訓練所だ。
教育が、国家主義から離れない限り、まともな教育とはいえない。
偶像に従えば、破滅しかない。
だから、事業仕分けなどいくらしても、根本の思想から変えなければ意味がないのだ。
2009年11月19日
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