親米派の人々
親米派とか米国派と呼ばれる人々は怪しい。山本五十六、白洲次郎、吉田茂、岸信介、鳩山一郎。。。
戦争を米国に有利に進めるためにぐるになっていた可能性がある。
山本は、太平洋戦争開始にあたって、文書を偽造し、天皇はじめ政府を騙して対米開戦に導いた。
佐藤賢了によると、大東亜戦争開戦直後に岡敬純が本来御前会議に提出する筈だった資料を佐藤の下に持ち込んだ事があり、その資料のデータからはとても戦争を遂行するのは不可能であると判断せざるを得ないようなものだった。会議に提出した資料のデータは山本が勝手に書き換えたもので、佐藤は岡に対して「どうして反対しなかったんだ!」と怒鳴りつけたが、岡は「海軍の中で誰も山本に楯突く事はできない」という旨の答えしか返せなかった。(Wikipedia--山本五十六)
(山本は、)昭和17年6月、戦略目的の不明確なミッドウェー作戦を強行し、空母4隻とその全艦載機を喪失するという大敗北を喫した。その敗因には、赤城、加賀、蒼龍、飛龍の空母4隻に、霧島、榛名の戦艦2隻、重巡2隻、軽巡2隻、駆逐艦12隻の貧弱な護衛艦しかない南雲機動部隊、その540kmも後方に、大和、長門、陸奥の戦艦3隻、鳳翔の空母1隻、水母、軽巡各1隻、駆逐艦22隻の主隊、および伊勢、日向、扶桑、山城の戦艦4隻、軽巡1隻、駆逐艦12隻の警戒部隊からなる、山本率いる主力部隊、そして、金剛、比叡の戦艦2隻、瑞鳳の空母1隻、水母1隻、重巡8隻、軽巡2隻、駆逐艦21隻、輸送艦12隻の攻略部隊が続くという、戦艦重視の聯合艦隊の編隊や、龍驤、隼鷹の空母2隻を中心とした部隊をアリューシャン方面に向かわせるという陽動作戦も挙げられる。しかし、指揮官の山本は軍法会議にかけられることなく、その後もその地位に留まった。主力の空母加賀、赤城、蒼龍が次々と攻撃され炎上、との電文を通信長が持ってきても、「ホウ、またやられたか」というだけで、将棋を指し続けた。(同上)
アメリカ国防総省の資料に山本機の撃墜の瞬間とされるガンカメラ映像があるが、山本機とされる一式陸攻の胴体下部をよく見ると特攻機の桜花が搭載されており、後にその映像は捏造であることが判明した。[22](同上)
2009年7月26日
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