短期的結果で判断するな
<Q>
御言葉にしたがって祈りつつことを行ったクリスチャンが最悪の結果になり、人に迷惑をかけ、自分の思いによって祈らずに行ったノンクリスチャンが最善の結果を得た、という場合どう考えたらよいでしょうか。
<A>
御言葉に従うことによって、苦しむことがあるということです。
我々が祈りつつ最善を尽くして失敗した場合は、その失敗が御心だったわけですから、たとえ人に迷惑がかかったとしても、それを主からの試練として受け入れ、人間的責任は自分が取り、後の超自然的な部分の責任は主に取ってもらえばよいのです。
物事は短期的に見ると罠に陥ります。
例えば、ラットがいて、ある薬を投与した場合に、そのラットが元気になるものと、元気にならないものとがありますが、それが生体にとって悪い薬である場合には、ラットのサンプルの母集団が増えれば増えるほど元気にならないラットが増えます。
わずかな例を持ち出して全体を論じることはできません。
主に従う人は、長期的に見て祝福されます。短期的に見れば、サタンが妨害することがあるので逆効果になることがあります。実は、サタンはそのような短期的結果を大きく拡大して見せて我々を欺こうとしているのです。
結果で一喜一憂してはならないのです。長い目で見れば、必ず主に従った人々が祝福されていることが分かるでしょう。
2008年7月8日
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