重税というブレーキを外せ
ソ連や東欧諸国が滅亡したように、国があらゆる領域を所有し、管理するという体制は自殺の体制である。
生産力を持っているのは、あくまでも個人と家族である。
国が理念で何かを作り出しているわけではない。
国の生産力は、個人と家族の生産力の総和である。
だから、個人と家族から金を奪い、国に富を集中させるという今の社会主義体制は自殺の体制なのである。
生産者である個人と家族の手元に金が残れば、それを再生産に使ったり消費に回すことによって、社会の活性化につながる。
しかし、国が個人と家族の財産の50%も所有し、それを国の役人の独断で使うことによって、必要なところに金が回らず、不要なところに使われることが多くなる。無駄な道路の建設などに使われることによって、国民の富はどんどん減っていく。
本来、国は、個人と家族の生産と消費の活動を支えるインフラのようなものでしかない。
しかし、ヒューマニズムの国家観が支配してから、世界中の国において、国があたかも生産者・消費者の顔をし、自分が価値を作り出し、自分が価値を消費する権利があるかのように振舞ってきた。
国には実体はない。実体があるのは、個人と家族である。だから、個人と家族に主権を取り戻すべきである。
個人と家族から富を奪ってはならない。個人と家族に金を残し、彼らに消費させよ。
国がでしゃばって、主人面するから、個人と家族の発展が妨害され、弱体化する。その結果国も力を失っていくのだ。
少子化を叫んでも今の体制では無駄である。
国の少子化対策とは、ブレーキを踏みながらアクセルを吹かしているようなものだ。
重税というブレーキを外せ。そうすれば、前に進むから。
2006年12月2日
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