日本の企業は安息日の規定を重視せよ


JR尼崎の脱線事故の背景には、運転手への失敗に対する厳しいペナルティがあったという。

遅れを秒単位で報告しなければならず、失敗した運転手には、線路上の草むしりや、上司にはさまれた席で反省文を書かせられるなどのいじめとも取れるペナルティが課せられたという。

これは安息日の規定違反である。

神は、人間と動物に週に1日完全休暇を取れと命令された。
またそれに加えて農地には7年に1年の休暇を与えるように命令された。
月のはじめの日も休日にしなければならなかった。

人間にとって休息は非常に重要である。神が創造された秩序において、休息は必要不可欠のものである。

なぜならば、世界の回復と発展こそ、神の創造の目的だからである。

人間の肉体は動くと疲れるようにできている。疲労は回復しなければならない。そうしないと死んでしまう。人間や動物や植物の体に、血液凝固などのホメオスタシス(恒常性維持)の機能が備わっている。

罪は人間と自然の中に欠損を生じさせる。償いによってその欠損は補われなければならない。聖書的刑罰の目的は、補償である。相手に損害を与えたら、犯罪者はそれを利益によって償わなければならない。

律法の主要な意味は、「原状への回復」と「発展」にある。

神の法を否定し、人間の智恵に頼る体制においては、「人間疎外」が起きる。

目的が絶対化され、それを維持する人間が犠牲になる。

神の法を骨抜きにしたパリサイ人のイスラエルでは、人間疎外が起きた。

聖書の安息日の規定の本来的意味を無視して、「安息日には病人を治療することもできない」と考えていた。イエスは、パリサイ人の前で大胆に病人を治療された。

「安息日は人のためにある。人が安息日のためにあるのではない。」と言われて。

JR西日本のあのような勤務体制は、大都市圏における過密ダイヤに対応するために編み出されたものだという。

利益をあげることが人間の福利よりも重要視されていたわけである。

安息日を破る人間も国家も、破った日数をどこかで取り戻さなければならない。

イスラエル人は捕囚において、バビロンに強制連行され、その間、パレスチナの土地には休みが与えられた。イスラエルが住んでいた間に、安息日の規定は無視されていたので、これで帳尻があったのだ。

我々の体験からも分かるように、無理をしたらどこかで帳尻を合わせられるのである。

借金を返すために日曜日も休まずに毎日働いていたが、ある時交通事故にあって働いていた休日分ベッドの上で過ごさなければならなくなった友人がいる。

今回の事故で、JR西日本は、安息日規定を無視したツケを払わされたのであろう。

人間は神の被造物である。だから、神の規則の中で働かなければならない。超人になることなど絶対にできない。

とかく目的が人間よりも重要になりやすい日本の企業は、今回の事件を他山の石として欲しい。

 

 

2005年4月29日

 

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