おかしな集会に出席するとどのような影響があるのか


<Q>
自分は今日聖霊集会に実際に行ってきました。
そうしたら前に先生が書いた記事どおり、非常に違和感を感じる集会でした。
例えば出てきた信徒の後ろで人が支えて、先生が「アッ!」とか「悪霊よ出て行け!」と言って信徒を押すと信徒は後ろに倒れて床に倒れたまま気持ち悪い声で「ウーウーヤー」とうめいていました。まるで悪魔がついたみたいでした。

このような集会で先生に祝福?をうけた信徒は今後なんらかの悪影響が出てくるのでしょうか?
精神的・肉体的・霊的には何か害はあるのでしょうか?
(もし何もなくてもこのような集会は肯定しませんが)

<A>
一度や二度ではないでしょうが、繰り返していると悪霊に通り道を作ることになりますので危険でしょうね。
「通り道」とは、わだちのようなものです。何度も通っているうちにできてくる溝です。

習慣化ともいえます。悪霊は、習慣を通じて自分の通り道を作り、回数を重ねるごとにその道は広くなり、通りやすくなります。

だから、万引きをしているうちに、悪霊はどんどんエスカレートしてついには自然に手が伸びるくらいに常習化させます。

自分の意志とは無関係に物を盗むようになります。

すべて罪とは習慣化し、それにつれて人間は奴隷化します。

聖霊と違う霊に憑依されると、次第に憑依が常態化します。

常に憑依されているような状態になります。

そうして、ついには悪霊が完全コントロールすることになります。

そうなると、その人は奴隷です。突然、わめいたり、走り出したり、暴力をふるったりします。

自傷行為を行ったり、自殺に走ったり。

サタンは私たちをコントロールして、最後には自殺に追い込みたいのです。

考え方も注意しなければなりません。

悲観的な考え方にとらわれると、いつも悪いほうに思いが向くようになります。

「どうせだめだ」とか「やっても無駄だ」とか思うようになります。

何もやる気がしなくなり、ついには絶望に陥ります。

こういう非聖書的な思考方法を身に着けることをサタンは狙っているのです。

何か不気味なもの、汚らわしいもの、うさんくさいものを集会に感じたら、それから離れるべきでしょう。

集会において祈って人を倒す有名な伝道者に従っていった牧師がいました。

この牧師は、「聖霊に酔う」といって、舞台の上でふらふらになって立つことができませんでした。

今彼はどうなったでしょうか。精神の病にかかってしまいました。

「霊をすべて信用してはならない」とあります。

「愛は礼儀に反せず」という言葉もあります。

原語では、「見苦しい(下品な)ことをしない」です。

脈絡と無関係にげらげら笑ったり(たとえば、地獄の話をしているときに笑ったり)することを聖霊がなさるわけがありません。

見て場違いなこととか、失礼なこと、下品なこと、顔をしかめるようなこと、あまりにも奇怪なこと、残虐なことなどを行うなら、それは聖霊に満たされているのではなく、愛のない業です。

そういう交わりに入っていると、自分が見えなくなり、常識を外れたことを言ったりやったりするようになります。

家族や友人から「最近、おかしくなったんじゃない?」といわれるようになったら考えなければなりません。

もちろん、正しいことをしているのに、常人の常識外であるため、おかしいといわれることはあります。しかし、自分の通っている教会の行動におかしなものがあり、それが伝染した場合には、反省する必要があると思います。

そういう集会からは、とにかく離れることです。

一目散に逃げることです。

 

 

2009年10月11日

 

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