握り締めるな
聖書によれば、我々は、借地人である。
土地は神のものであって、我々はその土地を借りているだけである。
だから、我々が神の御心にかなわないことをやれば、その土地から追い出される。
このことは、我々の所有物すべてについていえる。
我々の家、車、家族、仕事、お金・・・あらゆるものが借り物である。
なぜならば、神は「全世界はわたしのものである」(出エジプト記19・5)と述べておられるからだ。
我々の命すらも、借り物である。
「自分のいのちを自分のものとした者はそれを失う」(マタイ10・39)
この地上で、誰一人として自分のために生まれてきた者はいない。自分のために生まれてきたと思っているのは誤解である。
万人は神の道具である。
万人は神の計画を実行するためのコマである。
だから、神の御心のままに何かを奪われたり与えられたりする。
自分が大切にしていたものが誰かによって奪われたときに、我々は、神の御前に泰然自若としていなければならない。
我々にはそれを悔しがる権利はない。
それは、もともと自分のものではなかったのだから。
全部が神からの委託品である。
それをあたかも自分のものであるかのように握り締めてはならない。
カルヴァンは、「この地上にあるものを軽視できるようになった人は、神の学校において大いに進歩したのである」と述べた。
カルヴァン自身、ひとり子を失っている。
この地上を管理するために召されたクリスチャンは、すべてのものに関して、「握り締めず、しかし、手放さず」という姿勢を持つべきである。
この人生において、握り締める人は、人一倍心配し、無駄な苦労をしなければならない。
「あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。」(ルカ12・34)
自分は常々何を心配しているか?
24時間一番心配し、考えているものは何か?
それがあなたの「宝」である。
「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。
自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。」(マタイ6・19ー20)
2004年11月21日
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