社会の指導者が変われば世界が変わる


ミレニアム通信の会員は、この世の中でもトップクラスの頭脳の持ち主ばかりである。

医者、弁護士、大学教師、牧師、学者、神学者、会社役員・・・いわば社会のリーダーである。

私は職業で人間の優劣を判断しない。しかし、こういった指導的な職業についている人々がやはり優秀なのは事実だ。

レッテルで人間を見ないが、やはりレッテルは一つの判断尺度である。なぜならばそのレッテルは普通の人では得られないからだ。

相当の勉強をして、自己鍛錬を積まない限りこういった職業につくことはできない。

私がターゲットにしているのは、このような社会的に影響力のある人々である。なぜならば、エリートの常識が変われば、社会が変わるからだ。一般の人々は、エリートの言うことを信じる。

何ヶ月か前に朝日新聞に文学者松田解子のインタビューが載っていた。彼女は、共産主義者である。1900年代の生まれだ。

彼女が勤めている鉱山事務所で、義理の父が鼻血が出るほど殴られリンチを受けたのを見て、階級社会に疑問をもったという。所長はアメリカの大学を出たエリートで、経理部長など管理職の人々は、みな東大卒だった。彼女は学歴がなかったが必死に苦学して教員になった。

この年代の人々には共産主義者が多い。1917年にロシア革命が起こった。共産主義国の崩壊にいたるまで人々は共産主義の間違いに本当の意味で気付かなかった。

ある意味において、人間に対する期待をわずかながらもっていた。私が大学に入ったころは学生運動も下火になっていた。高校では、授業中に学生が入ってきて、ビラまきをしたり、しょっちゅう自主集会が開かれていたが、それも我々が卒業するころは完全にノンポリ化した。

私が大学に入ったときと出たときではまったく変わってしまった。入った時は赤一色、出た時はレジャーランドになった。

もう誰も理念で国を変えようなんて思わなくなった。内ゲバもこの傾向を助長した。学生も社会も社会運動にアレルギーを覚えていた。

私は、谷間の世代である。音楽もフォークからロックに移り変わるちょうど谷間だった。先輩を見習って何かやろうと思ったら、後輩はまったくついてこなかった。

松田解子は、「ソ連は間違ったやり方をしたのだ。共産主義が間違っているわけではない」というが、まったく思想的反省ができていない。こんな教えに今後誰もついていくはずがない。

1989年に、ソ連とともに共産主義は死んだのだ。

それと同時にヒューマニズムも死んだ。

ヒューマニズムは、神ぬきで人間だけの理想郷を造ろうとする思想だ。

この理想は永遠に崩壊した。

もはやヒューマニズムから理想論は出ない。

もはやエリートの人々は、ヒューマニズムに希望をもたない。頭のよい人は未来の予測もするどくできるから、ヒューマニズムの思想的脆弱さに気付いている。

じゃあ、それに代わって何がくるのか?虚無か?あとは、淫行教師と汚職議員と、売春女子高生と、不倫夫婦か?

全部破壊されたのだ。儒教教育も戦前で終わった。戦後はヒューマニズム教育だ。しかし、ヒューマニズムにはもはや希望はない。じゃあ、何か?何が社会の指導原理なのか。

人々は分からない。分からないから自信を持って子供をしつけられない。善悪も、人間の命の尊さも教えられていない子供たちが、同級生を殺ている。

一般の人々は気付かないが、社会の指導的な人々は気付いている。

つまり、指導原理、世界観、道徳規準が崩壊したことを!

300年にわたる巨大な実験が終了した!

ヒューマニズムは崩壊した!

我々に残されているのは、ヒューマニズムに代わる唯一の指導原理――キリスト教である。

ヒューマニズムはもともとキリスト教に対する対抗原理として歴史に登場したのだ。だから、対抗原理が崩壊したら、その根源に帰る以外にはない。

問題は、どこにあったのか。それは、人間から出発する認識論、デカルトの「我思うゆえに我あり」の原理、これが間違っていた。

人間から出発するのではなく、創造主から出発する認識論を確立せよ。

それをやったのがヴァン・ティルだ。

認識論が確立したら、あとは具体的な指導内容だ。これを確立したのがラッシュドゥーニーだ。

神の法による支配。世界に残されたのは、これ以外にはない。

人間から出発して人間だけで成立する世界が崩壊したならば、あとは、それに代わるもの、つまり、神から出発して神の基準で運営される世界だけだ。

それこそ、自由と繁栄にいたる唯一の道だ。

エリートの人々は、このパラダイムシフトを理解していただきたい。そして、周りの人々に影響を与えていただきたい。

私の願いはこのことにつきる。

 

 

2004年7月4日

 

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