世俗化が進むキリスト教社会


よくアメリカに行く人が、こう言っていた。

「10年ほど前は、クリスマスのシーズンになると、官庁でもツリーを飾ったりしていたが、今は、政教分離ということでそれも行わなくなっている」

不思議な現象である。

ブッシュ大統領を支えた福音派のクリスチャンは、政治の中に聖書の規則を持ち込もうとしている。

中絶反対、進化論教育反対、ホモの結婚反対…。

それに対して、最高裁が、地方裁判官による裁判所内への聖書像の持ち込み禁止など、政治と宗教を切り離す動きも強くなっている。

これはまさしくヴァン・ティルが述べたように、

「時間がたてばたつほど、前提はますます明らかになり、クリスチャンとノンクリスチャンの立場はますます互いに乖離していく」

のである。

つまり、

「不正を行なう者はますます不正を行ない、汚れた者はますます汚れを行ないなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行ない、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」(黙示録22・11)

という状況になっている。

光が現れると、闇も深まる。

我々がはっきりとものを言えば言うほど、闇の勢力の働きも活発化する。

福音が働くところ、そこにサタンも働くのだ。

オーストラリアのNew South Walesの教育省が発行したテストでは、紀元前を意味するBC (Before Christ)がBCE(Before Common Era)というキリスト教色を払拭した名前に変えられ、議論を呼んでいる。

http://www.worldnetdaily.com/news/article.asp?ARTICLE_ID=43126

大臣は「私の知らないところで起こったこと」と言い訳しているが、ノンクリスチャンの勢いが強くなれば、世界中で起こることだろう。

イエス・キリストは、「いのちの君」である。

イエス・キリストを教育から、政治から、生活から払拭することは、いのちを払拭することに等しい。

このままノンクリスチャンの脱キリスト教的攻勢を許すならば、ますますキリスト教文化は社会から消えうせて、あとには異教主義がはびこり、サタンはますます自分が望むことをやり出すだろう。

祈りによってこの流れを食い止める必要がある。

 

 

2005年3月6日

 

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