世界を奪還しよう
「世界は一つ、人類はみな兄弟」というスローガンは偽りである。
聖書によれば、「世界は二つ、人類は二つ」である。
クリスチャンとノンクリスチャンの間には深い淵があり、互いは互いを受け入れられない。
「キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。」(2コリント6・15)
クリスチャンはキリストの体とキリストの御国に属し、ノンクリスチャンはサタンの体とサタンの国に属する。
双方は、互いを滅ぼして、世界を統一しようとしている。
世界は、神の創造なので、どちらが最終的に勝利するかは明らかである。
いや、むしろ、今から2000年前に勝敗は決した。
キリストは、こう宣言された。
「私は、すでに世を征服した(原語直訳)。」(ヨハネ16・33)
「私には、天においても、地においても、いっさいの権威が与えられている。」(マタイ28・18)
この世界は、キリストの御国となり、世界はすでに統一されている。
「(神は)その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。」(コロサイ1・20)
しかし、現実を見ると、サタンは大活躍しているように見える。
それは、キリストの勝利は「法的」であるから。戦争において、ある国が相手国に勝ち、征服したとしても、それはまだ法的にであって、実際に相手国内においてゲリラ戦があり、掃討作戦が必要な場合がある。
キリスト後の歴史とは、「キリストの軍隊が、サタンの軍隊を掃討するための歴史」なのである。
「もう戦争は終わった。あなたがたは包囲されている。おとなしく武器を捨てて出てきなさい。」と言っているようなものである。
今、世界中でサタンの力が強大であるように見えるのは、クリスチャンが戦ってこなかったからである。
サタンの側は、「すでに自分は負けている」という事実を巧妙に隠してきた。
クリスチャンに対して「この世界は我々の世界である」と見せかけてきた。
そのお先棒を担いだのがディスペンセーショナリズムである。ディスペンセーショナリズムが世界に蔓延するとともに、教会は「戦いをやめてしまい、ただ携挙によって救い出されることを願うようになった」。
世界中のクリスチャンがだまされ、弱気になり、支配をあきらめた。
しかし、今、クリスチャンの中に正しい認識が広がりつつある。
あのイエスの世界征服宣言をしっかりと受け止めて、世界の奪還をはかる人々が現れている。
クリスチャンは、サタンの手から世界の操縦桿を奪い取らねばならない。
ノンクリスチャンはサタンの奴隷であるから、どんなに善意にあふれていても、巧妙な罠により、最終的には彼のいいなりになるのである。知らず知らずに彼の願いを成就することになる。
ノンクリスチャンに支配を任せている間は、世界に平和は訪れない。
クリスチャンが国内、国際政治において主導権を取らなければならない。
クリスチャンと言っても「名目クリスチャン」ではだめだ。
聖書を前提として受け入れ、教会で聖餐を受けている「聖書的クリスチャン」でなければ。
さあ、世界を奪還しよう。我々が世界を指導するようになろう。聖書の原理によって世界を動かすようになろう。
この世界を悪魔の支配から神の支配に、法的だけではなく、実際的に呼び戻そう。
「それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ・・・るためである。」(使徒26・18)
2006年8月19日
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