太平洋戦争と戦後を作ったフリーメイソンの走狗たち2
<Q>
リットン調査団は満洲建国を侵略とは断定できないという結論だったのではないでしょうか。
<A>
どうも、2面があるようです。
一面で「侵略」ではないとしています。
第9章では、満洲は世界の他の地域に類例を見ないような特殊事情が多くあるゆえに、この紛争は一国の国境が隣接国の武装軍隊によって侵略されたという簡単な事件ではないことを指摘し、
(Wikipedia-リットン調査団)
リットン報告書は「柳条湖事件における日本軍の侵略は自衛とは認められず、また、満州国の独立も自発的とはいえない」とした
(同上)
1940年(昭和15年)7月26日、第二次近衛文麿内閣は基本国策要綱を策定、大東亜共栄圏の建設が基本政策となった。基本国策要綱の根本方針で、「皇国の国是は八紘を一宇とする肇国の大精神に基き世界平和の確立を招来することを以て根本とし先づ皇国を核心とし日満支の強固なる結合を根幹とする大東亜の新秩序を建設する」ことであると定められた。
(Wikipedia-八紘一宇)
尾崎秀実をはじめとする日本国内の共産主義者は、日中戦争を泥沼化の方向へと誘導し、大東亜戦争開戦を画策した。その際、尾崎らは「東亜新秩序」「東亜協同体」の一大キャンペーンを行った。…
大東亜共栄圏の前身である東亜協同体の理論構築は共産党員を抱える昭和研究会のメンバーによるものであり、その筆頭である尾崎秀実はソ連のスパイであった。
(中尾 幸『大東亜共栄圏構想の成り立ちと国益』)
http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf09/9-17-28-nakao.pdf
2010年6月3日
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