ベニー・ヒンが君が代を斉唱させたことについて


<PETER様>
さて、今般神戸においてベニーヒンのミラクルラリーと称する大会がありました。
その最中にいきなりヒン氏が君が代を会衆に歌わせる事態が起きたそうです。
http://www.revival.co.jp/news/news01.html

本件につきまして、

1)一般論としてクリスチャンと君が代の関係はどう理解すべきでありましょうか。
2)今回のベニーヒンの行動と会衆の行動をどう評価すべきでありましょうか。

よろしくご教授くださいませ。


<tomi>

Peter様

・・・

ベニー・ヒン氏はかつてかなりおかしなことを言っていたようですが、以下の記事を見ますと、正常になったと感じました。


「ヒン氏は2日目、救いと癒しは双子であり、「癒し」はあがないの実だと説明。初日に続いて、エジプトから脱出したイスラエルの民に触れ 「40年間、一人も医者にかかる必要が無かった!」と語った。続いてエジプトでの過ぎ越しについて、門柱に塗られた血(出エジプト12章)は十字架を意味し、十字架の後に続く癒しを強調。初日のメッセージ内で「昔は違うことを語っていた時期もあった」と語ったヒン氏だが、今大会では、徹頭徹尾、十字架のみを語った。 」(Revival Times Japan)
http://www.revival.co.jp/news/news01.html

そして、君が代の件ですが、

「興味深かったのは、3日目、ヒン氏は「皆さんが日本であること、クリスチャンであることを誇りと思ってください!それは召しなのです!」と強調し、「一緒に日本の国歌『君が代』を歌いましょう!」と 勧めた場面だ。一瞬会場が静まり返り、日本人牧師たち、ミュージシャンたちもとまどいを隠せなかったが、ヒン氏は「日本の国歌についての問題は知っています!しかし、日本の国を尊ぶ、敬うという意味で今皆さん共に歌いましょう!」と語った。そして、会衆全員が『君が代』 を無伴奏で歌った。当初、とまどう会衆も多く見受けられたが、歌いながら涙を流す人々の姿も次第に増えていった。」

私たちが日本人であり、クリスチャンであるということは、特別の召命であり、今日、非常に重要な意味があると思います。

私たち日本人クリスチャンにとって日の丸、君が代が悪い印象をもっているのは、過去に国家主義者に利用され、偶像礼拝の対象だったからです。

しかし、国の象徴である旗や歌は、正しい意味を与えられれば正常に用いることはできると思います。

ただし、いまだに私が懸念を覚えるのは、今の日本はまだ偶像礼拝の中にいるということ、そして、日の丸・君が代は、まだまだ偶像礼拝の道具として利用される恐れがあるということです。

たとえば、私は、日本という国が税金を10%以上とり、福祉によって国民の保護者となり、義務教育制度によって、無神論や進化論に立つ学問を教え、国民に対していまだに国を神聖視させるように導いていることに危険を感じます。

それは、聖書においてイスラエルに対して神が不興を感じられた「王を求めること」に通じる考え方です。

私たちクリスチャンにとって、神以外に頼る者はないし、神以外に絶対服従する対象はないのです。

そういう意味において、私たちには教育が必要であり、正しく国について考えることができるよう指導されることが必要です。

しかし、私にとって、今回のベニー・ヒンが非常に明るい印象を受けるのは、(この紙面からしか分かりませんが)正統的な意見に変わっており、また、日本という国の再興に関する私の考えと一致しているように見えるからです。

このHPで何度も紹介いたしましたが、私は、日本という国が特別に神に選ばれている国であるという考えを持っています。

日の丸がイエス・キリストと関係しているとも考えています。

今回のベニー・ヒンの君が代斉唱が、何か「霊的状況の変化」を示しているように覚えます。


「大会実行委員長を務めた村上好伸氏(カリスチャペル主任牧師)は本紙の取材に対して、「日本へのヒン氏の情熱が以前よりも増しているのを強く感じる。集会も神の臨在の結果として癒しと救いが顕著に見られ た。『君が代』は、それ自体は問題があるが、ヒン氏が伝えたかったのは、クリスチャンが国家を無視するのではなく、積極的に政府やリーダーたちに影響を与えていくべきだというチャレンジだったと思う」と語った。」」

「君」である天皇は、即位の式において、バプテスマと聖餐と酷似した儀式を行うということ、皇室や宮内庁関係者には、クリスチャンが多く、天皇とキリスト教は非常に密接に関係していることなど天皇については、普通の他国の元首のような存在とはかなり違う非常に深遠な意味があると私は考えています。
http://www.millnm.net/qanda/empp.htm

この村上師が感じられたように、今日本のキリスト教は次の2つの点において大きな変化を迎えつつあるのではないか、そんなことをベニー・ヒンの記事から感じました。

(1)クリスチャンは天皇制を単純に敵視するのではなく、その意味をもっと深く考察しなければならないこと。

(2)「クリスチャンが国家を無視するのではなく、積極的に政府やリーダーたちに影響を与えていくべきだという」考えを広め、実践すべきだということ。

 

 

2006年8月2日

 

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