これまでキリスト教というと、西洋の宗教という認識が一般的だった。
しかし、離散ユダヤ人を視野に入れるならば、まったく違う理解になる。
離散ユダヤ人は世界のどこに散ったか。記録によると、アジアである。
実際、使徒行伝には、離散ユダヤ人が主にアジアに散っていたことが記されている。
私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」(使徒2・9-11)
パルテヤは、イランである。
イランやアフガニスタンはかつて離散ユダヤ人がたくさん住んでいた。
パルテヤは中国では安息国と呼ばれ、「安」という苗字の人々は、安息国が出身だったといわれる。
だから、ユダヤ人がパルテヤにいたということから、中国にも足を伸ばしたということが容易に推測できる。
さて、このように、ユダヤ人がアジアに多数散っていたことを考えると、我々は、西洋流のキリスト教とは異なった見方でキリスト教を見る必要を覚える。
実はアジアが源流と言われた諸思想は、ユダヤ思想が大本にあったのではないかと。
たとえば、十二支である。十二部族と関係がないだろうか。
陰陽思想は、カバラと関係がないだろうか。
六芒星はダビデの星と関係がないだろうか。
五芒星はソロモンの星と関係がないだろうか。
神社の構造と幕屋とは関係がないだろうか。
中国や日本に古来からあるものと、ユダヤのものの関連を調べる必要がでてくる。
新しい学問が開けてくる。
離散ユダヤ人――我々はこの重大な世界史の事実を忘れていた。
そして、キリスト教を西洋のものと誤解してきた。
しかし、離散ユダヤ人の存在を考慮するときに、キリスト教が実は我々の文化の根底を構成してきたのではないかとの推測が可能になると考えなければならない。
ユダヤ思想と神道や仏教など様々な東洋思想を結びつけることが実際に可能であると、我々は考えを転換しなければならない。