刑罰について聖書から考え直す必要がある2
> 同害刑法論に賛成ですが、「心身耗弱」者に対しては、殺人=死刑が抑止力
> にならないという可能性はありませんでしょうか。御引用の「人を突く牛」も、常
> 習犯には、「持ち主も殺されなければならない」(出エジプト21:29)という規定
> がありますが・・・如何でしょうか?
抑止力の問題はまた別の問題です。
聖書においては、「義の要求を満たす」ということが第一義的な問題です。
我々被造物にとって最も大切なのは、神に対する責任です。
なぜならば、万物の存在目的は、神にあるからです。
ヒューマニズムにおいて、万物の存在目的は人間になっていますが、それは間違った考え方です。
なぜならば、人間は創造者ではないからです。
神が創造者であり、それなるがゆえに、被造物の存在目的は神にあります。
神の意志を満足させるために万物は存在しているのですから、まず考えなければならないのは、「神の御心をいかに満足させるか?」であって、「人間社会をいかに成立させるか?」ではありません。
神は義なるお方であり、神の象徴である人間も人間社会も義の存在にならねばなりません。
不正が行われたら、それを正す必要があります。悪が行われたら、それを裁き、刑罰を課す必要があります。
それを行わなければ、人間が存在する意味がありません。
だから、まず人間は神の義の要求を満たすために、悪に対して神の定めた方法で対処しなければなりません。
抑止力になるかどうかについては、私はどんな存在であれ、神の被造物である以上、刑罰は心神耗弱者に対しても作用すると思います。
アフリカのある地方では人間を襲った動物に必ず復讐をするそうです。そうしないと、人間をなめるようになり被害が拡大するからと思います。
2005年2月7日
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