先祖の罪が我々に影響するのか


家族が全員クリスチャンである方からのメールがあった。その一人が精神的に病をかかえておられる。

先祖に罪を犯した人がいるために、現在このような現象があるのではとの質問であった。普遍的な重要な意味を持つと考えるので、私の回答だけを公開する。

(1)
家系がのろわれているとしたら、お子さんがクリスチャンになるはずがありません。
みなさんがクリスチャンになったということは、祝福を受けている家系ということです。

詩篇の作者の一人は「コラの子」です。コラとは、モーセに逆らってのろわれ、地割れの中に投げ込まれて滅ぼされた反逆者です。
こののろわれた反逆者の子孫が信仰者になって、神を賛美しているのです。
先祖は関係ないということです。
たしかに主の御名をみだりに唱えることによって、のろいが3代に及ぶという箇所がありますが、もしこののろいがキャベツさんの家系にあるとしたら、クリスチャンになるはずがありません。

クリスチャンになったということは、契約の中に入ったことなのです。
そして、旧約聖書において、バラクの命令によって契約の民を呪おうとしたバラムは「呪うことができない」とあきらめました。

このことは、「外部の呪いによってクリスチャンが呪われることはない」ということを暗示しています。

つまり、我々を誰かが呪ったとしてもその呪いは、「契約の中にいるため届かない」ということです。

では、どうして外部者の呪いがクリスチャンに届かないのでしょうか。

それは「キリストが身代わりに受けられた」からです。

キリストは我々の呪いとなってくださったので、我々はそのキリストの傘の下に隠れることができる。

ですから、クリスチャンになったということは、「呪いからフリーだ」ということなのです。

しかし、クリスチャンがあたかも呪われているかのようなことが起きることがあります。

それは、訓練のための「懲らしめ」です。

神から離れることがないように、ある苦しみを与えられることがあります。その苦しみによって神を忘れない、傲慢にならない、神にすがりつく・・・

そういった目的のためなのです。

ですから、私たちは、自分に与えられた苦しみを感謝すべきです。

もし我々にそれが必要なかったとしたら、苦しみはないのです。

苦しみがあるということは、私たちがそのようなものを必要としており、神の愛による配慮なのです。

苦しみの中にあると、どうしても「呪われているのではないか」と考えてしまいがちですが、それは、罠であるとご理解ください。

私たちは、ここで本当の信仰を試されます。マイナスな出来事を徹底的にプラスと考える訓練を与えられたということです。

祝福を感謝することは誰でもできます。しかし、苦しみを感謝することは難しいです。

私の知り合いで、昔クリスチャンでいっしょに礼拝に出ていた人がいますが、ある役職について仕事によって忙殺され、ついに教会に来なくなり、世的な生活におぼれてしまった人がいます。

もしそのような状況にある人が本当に神に愛されているならば、必ず世から引き離される経験をするでしょう。

役職や会社を首になったり、財産すべてを失ったり、病気になったりするでしょう。

むなしいものに目を留めないために、神は喪失の体験をさせられるでしょう。

そうしなければ、「永遠の世界の価値に気づかない」からです。

万事うまくいって、そのまま永遠の火の池に投げ込まれるよりはるかに幸いです。

(2)
精神的な問題については、家族が祝福を受ける中で一人だけ霊的攻撃を受ける場合があります。

それは、(1)と異なる理由で起こることがあります。

家族全員が祝福を受け、教会生活をしている中で一人だけ悪霊の影響を強く受ける場合があります。

これは呪いという問題ではなく、攻撃ととらえるべきではないかと思います。

「自分は滅びに選ばれているのでは」とその方が考えておられるそうですが、その考えそのものが、すでに悪霊に隙を与えて、悪い考えが心に入っていることを示しています。

徹底的で、一滴の水の浸入も許さないほどの信仰によって武装する必要があります。

神はご家族を愛してくださっているという強い信仰をもってください。

そして、占いとか、ヘビーメタルロックとか、悪魔と関係のあるものに心を許したことがないか調べてください。

そして、徹底してそれらを避ける必要があるかもしれません。

どこからか水が漏れて悪い思想や思考的習慣、趣味などが侵入した可能性があります。

徹底した信仰によって悪霊の影響を撃退する必要があると存じます。

 

 

20010年1月7日

 

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