謙遜になり教会の神学に学べ
最近流行しているのは、「私は聖書を信じているのであって、神学を信じているわけではない。」という意見である。
聖書を読んでそこから教えを直接受けていれば、神学など自分にとって不要である、なんてことは絶対に不可能である。
それでは、私はその人に尋ねたい。
「あなたは、神学の恩恵から完全に自由になれますか?これまで教会が2000年かけて聖書に基づいて築き上げてきた、正統神学の神論、キリスト論、教会論、三位一体論、キリストの二性一人格、予定論、再臨論…を無視し、独自に聖書から自分流の教理を築き上げるのですか?」と。
このような意見は反知主義である。
神学という人間の知的遺産を否定する反文化である。
神学は、神が命じておられるのである。
なぜならば、人間は、聖書の様々な個所にある様々な教えを連関させて、総合し、まとめて理解する必要があるからである。
生のままの聖書だけでは、人間は間違う。
人間は、キリストの体である教会の中で教えられるのである。
神がお与えになった様々な賜物の中において成長するのである。
教会から離れて理解など得られるはずがない。
教会が築き上げてきた様々な正統的教理に対抗するなど自殺行為である。
宗教改革神学に対して独自の新説を唱えて自己満足している人々に告ぐ。
傲慢を捨てて、時の試練を経て純化された教会の教えに学びなさい。
教会の教えは、あなたがたが考えるほど偏っていない。
「おのれを閉ざす者は自分の欲望のままに求め、すべてのすぐれた知性と仲たがいする。」(箴言18・1)
2005年10月22日
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