軽々しい約束は絶対にしてはならない
今回、あるクリスチャンが、翻訳の料金を出すので、翻訳してほしいというオファーが数度あり、それなら自分の世俗の翻訳の仕事を一時中断して取り掛かろうとしていたら、どうもその支援者の様子がおかしい。
いろいろ接触を試みたが、なかなかつながらない。
いつもと違う。
ということで、後で誤解と分かりましたが、それでも、なにやらよくないものを感じました。
だいたい、こういうトラブルは、不吉です。
一度こういう問題が起きると、それを再開してもいいことにはならない。これは私の経験です。
時間の無駄になることが多い。
いわゆる「はしごを用意されて屋根に上がったが、それを外されて降りるに降りられなくなる」というやつです。
聖書において、「躊躇」とか「振り返り」というものは、厳禁です。
預言者の弟子が、一度行った決断を覆した結果、裁きにあったという記事が何度もでてきます。
聖書の世界では、一度発した言葉は取り消されない。
我々は忘れていても、神は覚えておられ、その責任を追及される。
ある人は自分の娘を人身御供にすると約束して、それを取り消せないために、苦悶を味わうという記事があります。
一度発した言葉を反故にできるというところが、もうサタンによってコントロールされていることの証拠です。
一度決断したら後ろに戻れないというのが、神の世界であり、我々は、そういう厳しさがあることに驚いてしまいます。
軽々しい約束は絶対にしてはならない。
2010年5月23日
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