国にはサービスを期待するな
相続税賛成派の中で、「悪いことをして財産を作った人間の相続は禁止すべきだ」という議論をしていた人間がいた。
これはおかしな議論である。
悪いことをしたかどうかどうやって分かるのか。
もし法律を守って蓄財したのであれば、悪いことをしたことにはならない。
なぜならば、この国は、法律を守っている限りは何をしても自由なのだから。
法律を守っている人に「あなたは悪い人間だ」とどうしていえるか。
倫理的に悪い人間かもしれない。しかし、法的には悪い人間ではない。
倫理的に悪い人間については、神以外に裁くことはできない。
それは、我々の仕事ではなく、また、国の仕事でもない。
国がさばくべき者とは、法律に違反した人間だけである。
だから、法律に従って蓄財した人間を罰することは絶対にしてはならない。
その財産を誰も奪うことはできない。
自分が相続すべきだなんて考える権利も国にはない。
刑罰として相続税を設けるなんてのは、マルクスが提唱した共産主義の思想である。
我々は、よく知らねばならない。
この今の日本の国家体制とは、「国民から奪い、国民を弱らせ、国に富と権力を集中させようとする国家至上主義」に基づいてできている。
これは、国による一元管理、国を神としてそれに全権を与えることを目的とした、共産主義の思想である。
共産主義の平等理念とは、「みんなで豊かになろう」ということではない。
今の学校教育によって、このような誤解を持たされているから、学校を卒業した人間は上から下に到るまで、ことごとく洗脳され、あたかも共産主義によって平等に豊かになれるかのような幻想を抱いている。
幻想から解放されないと、いつまでも搾取され、働いても働いてもどこか無限の闇の中に吸い取られることが続くだろう。
自分の稼ぎを取り戻したいなら、この国の基本的な体制に「ノー」と言わねばならない。
(2)
本当に豊かな体制とは、我々の常識とは逆に、私有財産の保障を通じて実現する。
なぜならば、人間は、自分の利益がそっくり自分に返り、どこからも盗まれないと分かれば頑張れるからだ。
稼いでも稼いでも、どこかに取られ、何かわからないところで無駄に使われているとなれば、やる気がうせるだろう。
国に無駄遣いさせないように監視すればよいではないか、というが、その監視自体に膨大な資金がいるし、すべてを監視するなんて無理だ。
一番いいのは、国に金をまかせないことだ。
そして、民間でやれることは民間でやり、互いに競争の中で、一番サービスと品質のよい会社が生き残るようにすれば、売り手も買い手もハッピーだ。
努力しない人間ははじかれても文句は言えないはずだ。なぜならば、はじかれたのは、自分の責任だから。
人間、自分に責任があることで苦しむことはトラウマにはならない。
自分に責任のあることで失敗することについてまで配慮する社会なんてろくな社会じゃない。
社会がすべきなのは、再起を促し助けるだけでよい。
怠けて失敗した人間にお金を上げるようなことをやると、怠けるが勝ちになる。
今、生活保護で17万とかもらえるそうだ。ふざけてる。
普通の仕事をしていて、17万稼ぐのにどれだけ苦労するか。
とにかく、正当な努力をした人間を励まし、怠けたり、ずるをやる人間を励まさない社会にするために、制度を根本的に変えることだ。
そのために一番いいのは、税金を安くし、国に社会福祉をさせないことだ。
福祉が民主体になれば、民は、自分のお金の使われ方に注意を払うから、本当に助けるべき人を選ぶだろう。
今のような生活保護を受けているパチプロなんていうのはいなくなるはずだ。
(3)
国が福祉をやるとなぜ非効率かといえば、それに群がる利権業者とか利権役人、利権政治家だけではなく、福祉のシステムすべてに公務員がかかわるようになるからだ。
ソ連では、全員が公務員だ。公務員がレコード屋の店員をやるとどうなるか。
女店員が、客をほったらかしにして、自分をくどきに来た男と長話をしている。
銀行で順番待ちをしていたら、就業終了時間が来たので、窓を閉めてしまった。
遠足に行った帰りにまだ目的地についていないが、バスの運転手の仕事の時間が終了したので、途中で降ろされた。歩いて帰りなさいと。
以上は私の体験である。
日本の公務員は民間の仕事を見ているからこれほどひどくないが、しかし、独立採算制でなく、コスト感覚がない公務員が、経済的に最適な行動を取ることは絶対に期待できない。
お分かりだろうか。
民間でできることは、民間でやったほうが何倍もリターンがよいのだ。
だから、年金にしろ、介護にしろ、民ができることに、国は関与すべきではない。
国にはサービスを期待するな。
2008年2月8日
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