ブッシュ家はJFK殺害に荷担したのか?2
FBI長官J・エドガー・フーヴァーが国務省に渡したメモ(1963年11月29日付)には、JFKの暗殺の翌日に開かれたFBIとCIA高官の会議の様子が記されている。テーマは、「ケネディ暗殺に関するキューバ亡命者社会の反応」であった。
この最後の段落に、「前述の情報[訳注:JFKの暗殺]の内容は口頭で我々とCIAのジョージ・ブッシュに伝えられた。」という一文がある。
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これは、ジョージ・ブッシュがCIAの高官としてケネディ暗殺に直接関わったことの証拠である。
ジャーナリストに質問された際に、ブッシュは「それは私ではない。誰か他のブッシュだろう。」と答えていた。このことについて調査した結果、その答えは間違いであることがわかった。そこで、再度尋ねたところ、ブッシュのスポークスマンは、それ以上のコメントを拒否した。
彼はなぜこのことについて嘘をつかなければならないのだろうか?
CIAは、このメモのジョージ・ブッシュについて調べ、「それは前大統領のジョージ・ブッシュではなく、当時CIAに勤務していた別のジョージ・ブッシュだ」と述べた。
しかしレビュー・ボードの記録によれば、1963年にCIAに勤めていた別の「ジョージ・ブッシュ」は、下級アナリストであり、自分はそのメモに記されているジョージ・ブッシュではない、と繰り返し述べたという。
レビュー・ボードのスタッフは、CIA長官アレン・ダレスのカレンダーに「陸軍少将ジョージ・ブッシュ」という書き込みを見つけた。このブッシュ少将が、くだんのジョージ・ブッシュであるかどうか示すものは何もない。レビュー・ボードはそのカレンダーのページを暗殺の証拠の一つとして記録した。
1976年、ジョージ・ブッシュはCIA長官として任命された。任命したのは、前ウォーレン委員会委員であったジェラルド・フォード大統領であった。
その時、ちょうど新設された調査委員会が、フィデル・カストロ、マルチン・ルーサー・キング、ジョン・F・ケネディの暗殺にCIAがどのように関わっていたのかを調べていた。
ブッシュは、ピッグス湾のスタッフの中から旧友セオドア・シャックレーを副長官に任命し、CIAの最も重要な部門である特殊作戦に当らせた。
上記の調査は、CIAの激しい抵抗によって妨害された。CIAは重要な文書や証言を隠した。それにもかかわらず、下院暗殺特別委員会は「95パーセントの確率で言えるのは、少なくとも4発の銃弾が発射され、ケネディは陰謀の結果殺害されたということだ。司法省にはさらなる調査を行うことを奨励する。」と結論した。
この奨励は無視された。
下院暗殺特別委員会が準備している間、テキサス人ビル・ロードに委員会で証言しないように圧力がかかった。 ビル・ロードは、フランスへの航海において、リー・ハーヴェイ・オズワルドの同僚乗組員でルームメイトだった。
ロードは、自分の心配をカーター大統領への手紙の中で述べた。そこには、オズワルドはFBIとCIAと関係していたと記されていた。また、結論として彼は「FBIとCIAはJFKの暗殺と、1963年11月22日に起こったクーデターの共犯者だ」と述べた。
彼は、自分に圧力をかけてきたテキサス州ミッドランドの政治家の一人はジョージ・ブッシュ・ジュニア(現大統領)であったとも述べた。
このカーターへの手紙は、数年前に公開された。
2006年1月15日
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