小細工や心理学的な操作を止めよう


よく「マイナスな情報を提供してどうして人々が耳を傾けますか?」と問う人々がいる。

こういう人々は、現代の商業広告と信仰とを混同しているのである。

よくクリスチャンは、福音のセールスマンだとか言われる。だから、よい情報を提供して、信仰に入りたくならせなければならない、と。

たしかに福音伝道は、売り込みの要素がある。しかし、すべてではない。まず真理が中心になければならない。

聖書はマイナスな情報だらけだ。クリスチャンが悲惨な運命をたどる話もある。


またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。また、ほかの人たちは、あざけられ、むちで打たれ、さらに鎖につながれ、牢に入れられるめに会い、また、石で打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、乏しくなり、悩まされ、苦しめられ、――この世は彼らにふさわしい所ではありませんでした。――荒野と山とほら穴と地の穴とをさまよいました。(ヘブル11・35-38)

こんな悲惨な最期を提供してどうして人々がクリスチャンになりたいと思うだろうか?と現代の広告マンは言うかもしれない。

我々はターゲットを間違えてはならない。

これは失礼と誤解されるのを承知で言うが、

キリスト教の場合、功利主義的な判断をする人々をターゲットにしてはならない。

つまり、自分の損得を第一に考える人間を相手にしてはならない。

なぜならば、そういう人々は、利得が得られなくなると信仰を捨てるからだ。

本当に救われる人々は、神から来る損得すべてを受け入れる。すべてを恵みと判断する。

教会成長学の悪い影響によって、福音伝道と商業広告とが混同されるようになってから、教会にご利益信者が入ってきた。

メッセージもそれにあわせるようになり、本当に救われている人のニーズが無視されるようになった。

私は、伝道者に言いたい。

ターゲットを絞れ、と。御言葉を愛し、神を愛する人々しか聞き分けられないようなメッセージ、つまり、聖書的なメッセージを語れ、と。

人間的な小細工や心理学的な操作などから自由な手法を用いよ、と。

 

 

2007年12月8日

 

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