クリスチャン教育に関する提言
(1)
あるクリスチャンのホームスクーリングのグループは、数学を軽視する。
しかし、数学は、理科系の職業を選択する場合に最低限の基礎であり、数学を知らなければ、国の基礎である「技術」を支えることができず、その分野をノンクリスチャンに占領される。
私は高校生は、昔で言えば「数学III」の分野、微積分などまで学ぶべきだと思う。
数学IIと数学III(今のカリキュラムではどうなっているか知らない)の違いは大きい。
私にとって大きな後悔は、高校レベルの理科系の勉強をしっかりしなかったことである。
文科系に進学したため、それらを軽視していた。しかし、今翻訳の仕事をしていて、微分積分、行列、化学、物理などの知識が必要である。
翻訳の仕事にとどまらず、どの領域でも、知的な仕事に携わるならば、理科系の基礎的な知識は欠かせない。中でも数学は欠かせない。
ホームスクーリングをするならば、高校レベルの理科系の授業ができる人間を招いてそれらの知識をきちんと与える必要がある。
今、大学生のレベルが落ちていて、大学において高校レベルの知識を与えるために補習授業をしないと授業が成立しないと聞く。
私は、予備校で教えている頃、ある年生まれから突然、がくっとレベルダウンした記憶がある。
いわゆるゆとり教育のカリキュラムがはじまった生徒たちだと思う。
日本人を馬鹿にするという計画があることは明らかであり、理科離れ、数学離れは意図的である。
英語にしても、簡単な会話レベルの英語しか教えなければ、世界の人々のレベルからますます日本人は引き離される。
民族間の交流の多い大陸の人々、とくにヨーロッパ人などは英語ができる。フィリピン人やアフリカ人も英語ができる。
もちろん、ブロークンだが。
私は、批判が多い文法中心の高校英語によって非常に大きな利益を受けた。
会話中心で文法を軽視するような英語教育は、かえって会話すらできない人々を作る。
翻訳で、英語を母国語としない人々が書いた英文を翻訳することほど時間のかかるものはない。文法がしっかりしていないからだ。
文法の知識がしっかりしていなければ、自分の意思を正確に相手に理解させることはできない。
もし自分の子供を神の国の拡大のために用いられる人間に育てたいならば、基礎的な勉強をしっかりとさせなければならない。
頭の柔らかい記憶力のしっかりしているうちに、しっかりとした学問の基礎を身につけさせるべきだ。
(2)
英語力を身につける上で一番効果的だと思うのは、「教える側に回る」ことだ。
私は、大学受験の準備をする段階で、英語に関してはかなり鍛えられた。
しかし、それでも今から考えると、不十分であった。
塾や予備校で講師をした経験において、自分の知識のあやふやな部分をしっかりとしたものに変えることができた。
中学生に教えるだけでは不十分である。
大学受験のレベルの生徒、高校生や浪人生を教えることで相当鍛えられた。
なぜならば、大学受験レベルの知識は、ほぼ実用英語のレベルの知識だからだ。
語彙に関しては大学受験レベルは、実用英語からほど遠いが、文法に関しては、ほぼ実用レベルである。
もちろん、大学受験レベルでは、実用英語の文章を書けるまでにはならない。しかし、基礎はできる。
だから、私は、大学受験レベルの知識を確実につけさせたいならば、大学受験レベルのことを教える側に回ることだと思う。
自分の知識があいまいでは教えることはできない。
確実な知識を強制的に身につけさせられる。
こういう教育の方法は、古来から日本において採用されてきた。
クラブ活動などでも、先輩が後輩を教える。それによって、先輩は自分が学ぶ。
ギリシャ語はロシア語に非常に似ているので、神学校においてギリシャ語は苦もなく覚えることができた。
だから、2年生のときに、私が1年生の授業を任された。
教えることによって、学んだことを繰り返し、それによって、ギリシャ語の知識を正確にすることができた。
ロシア語は、日商岩井などにおいて、10年間企業研修を担当したことにより、自分にとって大いに勉強になった。
教える人間は完璧である必要はない。誰か、完璧な親がいるだろうか。子供を育てる人間が完璧である必要がないのと同じだ。
もちろん、ずぶの素人ではだめだが、ある程度実力があれば、教える側に回ることによって、格段の進歩を遂げることができる。
だから、ホームスクーリングやクリスチャンスクールなどでは、上級生が能力に応じて下級生の指導員にさせて、互いに切磋琢磨させるべきだ。
いつまでも学ぶ側に回しておくことは、経済的にも親の側に負担が大きいだけではなく、依存心をつけさせ、自立の障害になると思う。
2008年11月12日
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