万人が知らなければならない人類史の概略


このHPでは、歴史を大きく俯瞰して、人々がぜひとも知るべき重要な流れを示している。これは、非常に重要なことであり、この知識を得ることこそ「教育」の本質であるとも言える。

残念ながら、人々は、この本質を避けてきた。学校でも、教会でも、教育機関は、人類史の意味や目的を知ることを避けてきた。

むしろ、進化論や無神論のように、そのような「意味」や「目的」といったものを、神話の領域に入れ、歴史には意味や目的はない、というような虚無主義の教えを採用してきた。

しかし、虚無主義は、お題目として採用することはできても、実際生活において採用することは不可能である。虚無主義を日常生活に徹底して適用することなど誰もできない。

人間は目標や意味を持たずに生活できない。小さな目標から大きな目標まで何らかの意味を見出さずに生活を整えることなど絶対にできない。

だから、虚無主義は間違いなのである。

我々は人生に意味や目的を見出さずにはおれない。

では、それは何か?

人生の意味、目的とは何か。

創造者のために生きることである。

我々は自存しているのでも、自分で自分を作り出したのでもない。今、我々は自分の意思で生きているのではなく、一瞬一瞬別の「意思」によって生かされている。心臓は我々の意思と無関係に動いている。呼吸中枢も我々の意思とは無関係に「自動的に」働いている。

我々は、自分の究極の主人ではない。

我々は、自分という生命体をプログラムした存在によって生かされている。

だから、我々はそのプログラマーのために生きるべきである。

そのプログラマーは、聖書において自己を啓示しておられる。

我々は、聖書において示された我々の創造主の意思のために生きるべきである。

それ以外に意味の有る人生はなく、それ以外本当の人生の目的を見出すことはできない。

我々のプログラマーは、我々を通じて世界を支配することを願っておられる。

プログラマーの意思にしたがって世界を統治し、秩序と平和と繁栄の世界(神の国)を創出することを願っておられる。

神の国建設こそ、我々の人生を本来のまっとうな人生にする唯一の目的である。それ以外を目的とする人生は空虚である。

1000億の資産を築いても、人生において神の国のために奉仕しなかった人は、まったくの無駄足を踏んだことになる。

聖書に記されたことに忠実に従うことでなければ、その人の人生は無駄である。

神は、必ず人生の最後に、「あなたは私のために何をしたか?」と問われる。

一人一人の人生だけではなく、一つの集団、国家や教会、家庭も、この目的のために存在する。

すべての集団は、神の国建設という目的のために存在し、そのために生存を許されている。

しかし、サタンは、この目的を妨害しようとしている。

サタンは、人間を究極者とする「人間教(ヒューマニズム)」をこの地上にはびこらせた。

人間教を完成したのは、カントである。

彼は、「キリスト教など宗教の教えが正しいか間違っているかは科学では検証できない。だから、我々がそれを作ってしまえばよい。」と述べた。

「科学の検証が及ぶ範囲内のところで自己完結する教え」を作るべきだと述べた。

神、天使、死後の世界、・・・これらは、人間の目では、あるかないか知ることはできない。

客観的にそれらの事柄を知ることができないならば、そんな不確かな世界観に従うのではなく、自分で人間にとって意味のあることに限定された世界観を作ろう。

聖書が正しいかどうか検証できないのであれば、検証できる範囲で成立する世界観を自前で作ってしまえばよい、と考えた。

これが人間教である。人間教は、人間教国家と公立学校を通じて世界を席巻した。

マルクス主義こそ、人間教の究極の形態である。

「人間の人間による人間のための自己完結した世界」、これこそ人間にとっての理想郷と考えられた。

しかし、歴史はその内実を明らかにした。

それは理想郷ではなく、地獄であった。

人間だけで成立する理想の世界は実は粛清と殺戮の血みどろの世界であった。

マルクス主義によって、約1億の人々が命を落とした。

人間が創造主を無視して行うあらゆる行為は、サタンの道具と化す。

エデンの園以来、サタンの願望とは、人間に創造主抜きで生活させることである。

人間に、創造主抜きの「独立国」を作らせることこそ、サタンの究極の願望である。

そして、人類はその試みを19世紀から20世紀にかけて実行した。

我々は、このような流れを把握しなければならない。

この流れを把握させないような教育は教育ではない。

どんなに優れた教育機関と呼ばれているものであっても、この人類史の流れを教えていなければまったく存在意義がない。

人生において重要なものはそれほど多くない。

この人類史の流れはそれらのうちで最も重要なものである。

ぜひこの点をおさえて欲しい。

 

 

2007年4月23日

 

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