宗教と世俗を区別するカント主義者は立ち去れ!


宗教家は、宗教の問題、心の問題だけを扱えばよい、それ以上は不要だ、という意見は、我々に向かって言っても無駄である。

我々は、「宗教はあらゆる問題を扱う根源である」という前提で活動しており、そこがこのHPの特色でもあるから。

普通に「心の問題」を扱うページを見たいならどこか他に行け。

現代人が、宗教と実際生活の問題を区別するのは、カントの現象界と叡智界の2重構造に洗脳されているからである。

カントの目的は、キリスト教を狭い狭い心の問題に閉じ込めることにあった。

そして、その他に広がる広大な世界を人間の手で独占することにあった。

彼は、「みなさん、宗教の問題は、科学では判断できません。宗教は宗教の領域があるから手をつけてはなりません。」と叫んで、それまでキリスト教に対して加えられていた自然主義者からの攻撃をかわした。

だから、カントはキリスト教を救済したと言われたのだが、実際は「神の首をちょん切った」。

お分かりだろうか。

神を宗教の領域に押し込めて、そこから出てこれないようにした。

政治や経済や文化などについては、人間だけでやろうとした。

これが罠なのだ。

策謀なのだ。

サタンの騙しだ。

こういう罠にかかっているクリスチャン、そして、ノンクリスチャンも多すぎる。

耳のある者は聞け。

我々は、こんな騙しにひっかからない。

我々は、聖書をあらゆる領域の土台として、前提として据える。

そして、あらゆる領域の問題を聖書に基づいて思考する。

だから、進化論についても、科学として論じる。

宗教的に論駁するだけでは足りない。進化論が科学的に不備があることを指摘する。それがあり得ない誤謬であることを進化論の前提から否定する。

カント以降、人々は宗教と世俗を分離したために、こういった活動をする伝道者を「越権行為」と見る。

年配の人間は、近代に対する反省が足りない人間が多い。

カント以降のヒューマニズム世界観を批判できなければ、正しいキリスト教の活動はできない。

 

 

2008年3月4日

 

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