北京オリンピックを見て
(1)
北京オリンピックを見ていると、モスクワオリンピックを思い出す。
異常な声援。異常な愛国心。
CGを使ってでも、口パクをやらせても、自分をよく見せたい。
こういうのは、共産主義国の特徴である。
ソ連を公式訪問した外国客は大歓迎を受けた。
いいところだけを見せようとする。実物以上のものを見せようとする。
巨大なマスゲーム。異様に立派な施設。
いいところだけを見せようとするのは資本主義国も同じだが、程度の問題である。
ソ連は、都合の悪い情報を伝えることを許さなかった。
チェルノブイリの放射能汚染で入院している作業員たちが、TVのマイクを向けられてニコニコ笑っていた。
薄気味悪いと思った。
虚飾、虚飾、虚飾、虚飾。。。これが共産主義の特徴だ。
虚飾はサタンの特徴でもある。
サタンは光の御使いに偽装する。
偽悪も、一種の偽装である。
ことさらに自分の過去の悪行をさらけ出す伝道者がいる。
まともな人間なら違和感を覚えるだろう。そんな汚れた行為は自分のうちにしまっておいて、オブラートに包んで上品に伝えるべきだ。
一番いいのは背伸びしないことだ。偽善も偽悪もサタンから来る。
(2)
富田が吊り輪から異様な形で落下した。
輪がすべるのだそうだ。
怪しい。
もし細工をしたとしたら、そこまでして自国の選手に金メダルを与えたいのか、と思う。
こんな異常な虚栄心は、亡国の兆候である。
モスクワオリンピックの後10年経たずにソ連は崩壊した。
1982年にソ連にいた頃、ロシア人の知人に、私が「あと10年経てば変わるでしょう。」というと、「いや、無理だ。」と言った。
しかし、実際そうなった。
独裁国家が国威発揚でオリンピックをやると、5年くらいで崩壊するそうだ。
私は、演説する自分に対して「神の声だ!」と叫んだ聴衆の前で、虫に噛まれて息絶えたヘロデ王を思い出す。
「神に栄光を帰さなかったからだ」と聖書は説明する。
自分の栄光を求める者の末路は、裁きである。
名誉を求めるならば恥がくる。
「賞賛は人を試す」と箴言。
褒められたら、「いや、神様のおかげなんですよ。」と返す癖をつけるべきだ。
得意になっていると、逆の結果になる。
神に栄光を帰さない政権は崩壊する。ただちに。
(3)
プロ野球の人気の低迷は、あの異常な応援である。
鳴り物入りの応援がうるさくて、普通の人間が見なくなった。
音がうるさいだけではない。
偶像礼拝の雰囲気である。
以前いた教会にタイガースファンがいた。
特定のチームのファンをけなすつもりはまったくない。
私が違和感を覚えたのは、あのチームに対するファンの宗教心だ。
タイガース神社すらあるという。
大リーグにはこういった偶像礼拝の要素が少ない。みんなプレーを見ようと集まる。
日本のプロ野球は、プレーを見ようとするよりも、自分の宗教心を満足させるために集まっているように思う。
騒ぐことそのものが目的になっていると。
プロ野球界よ、そろそろ悟れ。
不健全な応援を許すと、特定の人間しか興味を持たなくなるということを。
人気で盛り上がっていると勘違いするな。
一部の「異なる目的で集まる人々」を許すと、そのスポーツ全体に普通の人々が寄り付かなくなるということを。
今回の中国のオリンピック、最近目に余るルール改悪は、オリンピックそのものにとって有害である。
偏狭な人々、不正をする人々を許すと、まともな観客が離れる。
2008年8月16日
ツイート
ホーム