世界の王の意味


(1)
クリスチャンになると貧乏になるとか、牧師は貧乏に甘んじるべきだ、とか。

こういった謬説がはびこっている。

ある教団の目標は「清貧を尊べ」とある。

クリスチャンは、貧困になれ!と。

こんな非聖書的な目標をかかげて健全な教団が作れるはずがないのだ。

クリスチャンは、豊かにならなければならない。

精神的にも霊的にも物質的にも。

契約の約束は物質的でもある。


もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。
あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。
あなたは、町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。
あなたの身から生まれる者も、地の産物も、家畜の産むもの、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。
あなたのかごも、こね鉢も祝福される。
あなたは、はいるときも祝福され、出て行くときにも祝福される。
主は、あなたに立ち向かって来る敵を、あなたの前で敗走させる。彼らは、一つの道からあなたを攻撃し、あなたの前から七つの道に逃げ去ろう。
主は、あなたのために、あなたの穀物倉とあなたのすべての手のわざを祝福してくださることを定めておられる。あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたを祝福される。(申命記28・1-8)

神は、世界の支配者である。

そして、その世界を第2のアダムであるキリストに委ねられた。

だから、現在キリストが世界の王である。

それゆえ、キリストの体であるクリスチャンも世界の王である。

しかし、この王とは、法的な王である。

実際的な王ではない。

ブラジルから帰化した日本人は法的には日本人だが、実際的には日本人ではない。

日本人として選挙権はあるだろうが、日本語がうまくしゃべれないとか、実際の日本人として欠点がある。

それと同じように、クリスチャンは、法的に世界の王であるが、実際的には王ではない。

だから、王であるはずの豊かさがない。

しかし、法的に王であるから、時間とともに必ず豊かになる。

クリスチャンは、歴史の進展の過程において次第に権力と富を獲得し、ついには世界の王として君臨するに相応しい状態に至る。

これが「地を従えよ」との意味である。

つまり、王になれ、と。

権力においても、富においても、王らしくなれと。

クリスチャンが貧乏であるということは、実は相応しい状態ではない。

イエスは「枕するところもない」といわれたではないか、というだろうか。

イエスは開拓者である。最初の人である。

御国の原初の段階である。

しかし、我々は違う。我々は2000年のキリスト教発展の歴史を背負っている。

だから、今の状態は異常なのだ。どうして2000年も経っているのに、これだけの影響力なのか、財力なのか。どうして、政治的に非力なのか。

何かがおかしいと考えなければならない。

そう。教えが間違っていたのだ。

貧困や非力を愛するような教えだからだ。

(2)
クリスチャンが注意しなければならないのは、パワーの獲得方法である。

政治的・経済的パワーの獲得は、必ず合法的でなければならない。

イエスは、「剣を取る者は剣によって滅びる」と言われた。

つまり、剥き出しの力、略奪、戦争、搾取によってパワーを得てはならないということだ。

聖書的な模範は、ヨセフである。

「仕える」ことによって、権力を得た。

人に奉仕することによって、次第に地位を獲得した。

これだけが我々の力の獲得方法である。

方法は、あくまでも聖書的、合法的でなければならない。

愛に基づかない方法によってパワーを獲得してはならない。

市場のシステムは、聖書的である。よりよく仕える会社が繁栄する。

よく市場システムを悪とし、統制管理経済を善とする意見をTVで見聞きするが、マルクス主義に洗脳されているのである。

投機マネーで原油価格が上がっているから、統制が必要だという人がいる。しかし、需要に対して価格がアンバランスに上がっているつけはかならず回ってくる。

原油国も、価格が上昇してよろこんでいるのは知恵が足りない。

価格上昇によって、代替エネルギーへの需要が高まり、代替エネルギー開発に正当性を与えることになる。

例えば、核融合の技術が開発、実用化されれば、海水1リットルが原油30リットル分のエネルギーに変わる。

そうしたら、産油国はもとの第3世界に戻る。

消費者を無視したことをやれば必ずしっぺ返しを食らうのだ。

日本でも、戦後金儲けに突き進んで道徳を失い、社員をこきつかい、社員の生活を無視した会社はみなダメになっている。

キリスト教界でも、ものすごいやり手として一代で地位と名誉を築いた戦後のカリスマは最後におかしくなっている。

契約を無視すると、契約的裁きを受ける。

神を侮ると、必ず報いが来る。

(3)
クリスチャンは、契約的に生きることによって、権力と富を得る。

これは、万古不変の法則である。

契約の規則を守れ。そうすれば、祝福される。

利己主義に走らず、社会のために働け。

そうすれば、逆に経済的に豊かになる。

(4)
我々が契約遵守によって受け取れる富は巨大である。

1億とか2億の話ではない。

何百兆、何京円という単位である。

なにせ、「世界の」王なのだから。

我々の子孫にはそれだけの富が自動的に入るようになるだろう。

神は、善人に世界を支配させようとしておられる。

謙遜を忘れず、貧困者に施しをすることを家訓としたまえ。

富の上にあぐらをかいて、貧困者を見下したり、権力を濫用すれば、とたんに祝福は去るだろう。

だから、我々は、子孫に対して契約的な教育をしなければならない。

聖書契約を教えなさい。

服従と祝福の関係を教えなさい。

そうすれば、あなたの家系は必ず世界において大きな勢力となるだろう。

 

 

2008年7月15日

 

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