またぞろ不信仰の伝統をつくりたいのだろうか?
「そんなこと言われても、信じられない。」
奇跡について語ると、こういった反応が返ってくる。
たとえば、実際に、ある牧師は瞬間移動したと公言している。
そういったことがあったのかどうか真偽のほどは別として、私は、聖書の認識論に立てば、そういうことも起こりえると考える。
なぜならば、エノクとエリヤとエゼキエルとピリポが空中移動、携挙、瞬間移動したと記されているからである。
「いやいや、それは、聖書の世界の話でしょう?現実は違う。」というだろうか。
「現実は違う」ということは、「聖書の世界は架空の世界なのか?」
傲慢な、現代の、奇跡を信じないクリスチャンたちよ!
聖書の前にひれ伏しなさい!
聖書は絶対だ。
あなたの理性や常識が絶対なのではない。
あなたがたのような傲慢が、処女降誕や復活を否定するリベラル派キリスト教を生んだのだ。
聖書を丸ごと受け取らないクリスチャンは、半端者だ。
またぞろ不信仰の伝統をつくりたいのだろうか?
2005年11月19日
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