地上統治を共産主義と批判するクリスチャンは永遠の刑罰に遭う
あるクリスチャンは、
「この悪い世界から救い出されなさいと命令されているのであって、この悪い世界を変えなさいと命令されてはいない。だからあなたの働きは共産主義と同じだ。」
と言った。
これは、重大な罪である。人のミニストリを批判するのは、慎重にしなければならない。
イエスは、ご自身の働きに対して「悪霊が悪霊を追い出している」と批判したパリサイ人に対して、
「それは聖霊を汚す罪」と言われ、「この世においても、後の世においても絶対に赦されない罪」と言われた。
聖霊が働いている働きを「悪霊の働き」と称することは、「聖霊を悪霊と呼ぶことであるから」聖霊を汚す罪である。
そして、父、子に対する冒涜は赦されるが、聖霊を冒涜する罪は赦されない。
「人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」(マルコ3・28-29)
人のミニストリを「悪霊による」と批判する際には注意しなければならない。
なぜならば、もしかして、それが、
聖・霊・に・よ・る・働・き・で・あ・る・か・も・し・れ・な・い・か・ら。
そうしたらどうする?
聖霊を汚すことになるのだ。
上記の批判者は、明らかに聖霊を汚す罪を犯した。
なぜならば、
「この悪い世界を変えなさい」との命令は、聖書において神が明らかに啓示しておられる命令だから。
「地を従えよ。」(創世記1・28)
人間は地上を統治するために、創造されたのである。
人間は王として造られたのである。
どうして「地上世界を変える必要はない」といえるだろうか?
「地上を変える必要はない」とは、明らかに御言葉への不服従である。
そして、「地上を変える働きは、共産主義である」という批判は、それゆえ、聖霊の冒涜である。
神に属する働きを悪霊に属する働きと呼ぶので、それを批判したクリスチャンは、悔い改めない限り、
「永遠に赦されず、とこしえの罪に定められ」る。
他人のミニストリをやたらに批判しないことである。
批判するなら、十分な聖書的論拠を提供しなければならない。
信仰によらない批判は命取りである。
2006年8月13日
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