理屈で反論しない「常識人」は相手にしません
こちらは何度も言っているように、ここで扱っている分野には、2つあります。それに合わせて批判してください。
(1)聖書神学に関する領域。これは、聖書から論証していく必要があります。つまり、科学が切りこむことができない領域です。
もし科学が切りこんで、聖書そのものを批判的に読むようになれば、聖書よりも人間の認識能力のほうが上であるということになります。
これは、聖書そのものが否定するヒューマニズムの認識論を肯定することになりますので、絶対にクリスチャンは行ってはならない態度です。
私は、再建主義において、聖書が何を言っているかに関して、人間の自然的認識力によって裁かれることを拒否します。ただ聖書に基づいて反対論証を行ってください。
(2)社会科学や自然科学によって切りこむことができる領域については、私は、仮説しか述べることはできません。
その場合、かなり「常識」(クリスチャン的常識も含む)とかけ離れたことも言うかもしれません。
こういった領域に関しては、反対論者は、「常識」から批判するのではなく、資料なり、証拠なりを用いて、こちらが理解できる議論を行ってください。
クリスチャンであれ、ノンクリスチャンであれ、私は、世間の常識というものに盲目に従うつもりはまったくありません。
常識的な話し、決め付けなどを行うならば、どこか他のところでやってください。
(しっかし、常識的な話ししかしないなら、こんなサイト開いて、すべて犠牲にしてやるわけないでしょう。少なくともこちらは、真剣なんだ。そっちも真剣に調べて、回答出して欲しいですね。)
議論もせずに人を一方的に断罪、トンデモ扱いする失礼な人間はいらない。
時間の無駄。
2005年5月27日
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