なぜ今のクリスチャンはセオノミーを嫌うのか?
セオノミーの問題が現代のクリスチャンの心を騒がせるのは、現代のクリスチャンが自然法の影響を受けているからである。
自然法とは、ギリシア思想に起源を持ち、ローマ・カトリックを支配した発想だ。
聖書の思想と異なりギリシャ思想は、自然を究極と考える。
もともと自然があったと考える。
しかし、聖書は、自然は神の創造だと教える。
神は無から世界を創造し、自然も創造されたものだと。
しかし、ギリシア思想は、自然秩序こそがもともとあったと考えるから、ギリシャ思想の影響を受けたローマ・カトリックは、創造とはあらかじめあった自然秩序の中で行われた行為と考える。
ギリシア思想が「自然の法こそ究極」と考えるのに対して、聖書は「自然を創造された神の法こそ究極」と教える。
現代のクリスチャンはディスペンセーショナリズムの影響を強く受けている。
ディスペンセーショナリズムを作ったのは、ローマ・カトリックのイエズス会士ラクンザだ。
だから、自然法思想がディスペンセーショナリズムを通じて教会に入った。
彼らの思想は、異教の思想によって大きく変えられた。
神の法に敵対するようになった。
だから、教会は、外面的にキリスト教の看板を掲げるが、内容としてはまったく別のものになってしまった。
セオノミー(神の法)を訴えた私は、「異端ではないが危険な教え」を唱えるとレッテルを貼られて追い出された。
「え〜、神の法を唱えて追い出されるはずがないでしょう!」と考えるだろうか。
たしかに神の法と言って追い出す教会はないだろう。
しかし、セオノミーは「旧約律法を現代に適用しなければならない」と唱える。この教えにいくつの教会が耐えられるだろうか。
「旧約律法は廃止されたのではないですか?もう律法の時代ではないでしょう。」と言うクリスチャンが大多数だ。
聖書を読みなさい!
どこに「律法は廃棄された」と書いてあるか?
イエスご自身が「私は律法を廃棄するために来たのではない」といわれ、パウロは「信仰は律法を廃棄しない」と明言し、旧約律法の新約世界への適用法を示した。
宗教改革の原理の一つは、セオノミーである。カルヴァン主義は律法の効用の一つとして、「生活を導くもの」をあげた。
律法が廃棄されたと考えるのはディスペンセーショナリズムである。ディスペンセーショナリズムの影響により、今のクリスチャンは聖書から離れ、ローマ・カトリックのような自然主義者になった。
宗教改革を正しく継承しようとする者は今日教会から追い出される。
正しい道に回復しないと、神ご自身が教会を追い出されるだろう。
2009年9月3日
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