不登校児童のほうがまともだ
不登校を問題視する人々は、こういう。
社会に出るといろんな人と付き合わなければならない。学校という場でその訓練をするのだ。
と。
違う。
まったく違う。
社会では、付き合いたくない人とは付き合わなくてよい。
もちろん、仕事の上のやりとりはある。
しかし、いろんな趣味とか個人的なことでは、友人にならなくてもいいのだから、仕事が終われば会わなくてすむ。
我々にとって社交性とは、「気の合う者との間で仲良くできる能力」を言うのだ。
それ以上のものは実社会で必要ない。
実社会では、人を選ぶことができる。
しかし、学校では人を選ぶことができない。
そして、個人の個性を超えた部分で集団にあわせなければならないから、個性の強い人、集団志向ではない人にとっては、実社会よりも過酷なのだ。
学校制度は、共産主義思想に基づいて作られている。マルクスの「共産党宣言」では、共産主義の策略の一つとして、義務教育制度が挙げられている。
義務教育制度は『大社会』を目指している。
クリスチャンにとっては、子供の時代にノンクリスチャンの中に放り込まれることは堕落につながる。
家庭でのしつけとか、高い倫理感などは、学校の同級生のプレッシャーの中で次々と奪われていく。
このようにしてクリスチャン家庭での訓練は学校で台無しにされる。
サタンは共産主義の学校制度を通じて、クリスチャンを相続不能にしようとしている。
共産主義の戦略の本当の狙いとは、クリスチャンから財産と教育としつけ、倫理を奪うことだ。
クリスチャンホームが次世代を失うように仕組まれているのが共産主義の社会システムである。
こういった悪魔の狙いを理解し対策を講じない限り、我々は次世代を失い、神の国は衰退する。
不登校の児童がいれば、「あなたのほうが正しい」と言うべきだ。
共産主義の学校制度によって、人々は洗脳され、社会全体が狂ってしまった。
ラッシュドゥーニーのMessianic Character of American Education, P&Rでは、この点について詳しい。
2009年10月30日
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