信仰に入る前によく検討せよ
信仰とはどのようなものでも人々に大きな影響を及ぼす。
英語で自動詞のbelieveに伴う前置詞はinである。
believe in AでAを信じるという意味になる。
この言葉から分かるように「信仰」とは対象に「入る」ことである。
trustもinである。trust in AでAに信頼するという意味だ。
「信仰」や「信頼」は、対象の中に没入することである。
だから、信仰や信頼は、契約的行為なのである。
契約とは、その中にいる人々を運命共同体に変える。
契約の中に入った人は互いに強い関係で結ばれる。
聖書では、契約集団が人体で表現されている。
キリスト契約に入った人々、つまり「教会」は、キリストの体なのだ。
だから、我々は同じパンを食べ、同じぶどう酒を飲む聖餐式を行う。
互いにひとつの体なのだ。
信仰や信頼を、軽々しく行ってはならない。なぜならば、その対象と運命共同体になることを意味するから。
オウムを信じるならば、オウムと同じ運命になる。
統一教会を信じるならば、統一教会と同じ運命をたどる。
嘘を信じたら、嘘と同じ運命をたどる。つまり、捨てられる。
思想を選択することは軽々しくやってはならない。
意味も分からない神を拝んだり、信仰してはならない。
「いわしの頭も信心」という表現があるが、いわしの頭を信じたら、いわしの頭と同じものになるのだ。
つまり、無価値な存在になるということだ。
偶像を崇拝したら偶像と同じものになる。
もし何かを崇拝し、信仰するならば、その対象を詳しく調べよ。
納得がいくまで検討を繰り返せ。
軽々しく入信すると、騙されて、むしりとられて、最後にポイ捨てされるだろう。
あのまじめな医者だった林受刑者がなぜ地下鉄でサリンを蒔くはめに陥ったのか?
軽々しく麻原を信じたからだ。
信仰に入る前によく検討せよ。さもなくば、その教祖と同じ運命をたどることになることを覚悟せよ。
20010年1月31日
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