聖書的メッセージへの拒絶は滅びをもたらす
聖書に基づく発言は一種の預言である。クリスチャンは預言者・王・祭司として召された民である。
そして、預言とは、神の御心の示しであるから、拒絶することは、神を拒絶することに等しい。
だから、もしだれかが聖書的なことを述べているならば、それを拒絶することが自分に災いをもたらすことを肝に銘じてほしい。
今、クリスチャンは、平気でこのような預言を拒否することができると考えている。
普通の人間の言葉を拒否することにいかなる意味もないが、神の言葉である聖書とそれに基づくメッセージを拒絶することは、自分の運命を負の方向に変える。
背神の時代である現代、この時代の思想にかぶれ、聖書のメッセージを拒絶する者が多い。
聖書的なメッセージをするとうらまれたり、嫌われる。
もし聖書に基づくメッセージが届いたらそれを軽視してはならないのだ。
拒絶するなら、正当な理由がなければならない。
どのような理由が正当なのかというと、「聖書的ではないから」だけだ。
「聞きたくないから」とか「面倒くさいから」とか「間違っていると思うから」だけじゃだめだ。
聖書から正しく反証しなければならない。
それが契約の民として最低限の義務である。
聖書に無関係に拒絶するならば、はっきり言うが、あなたは滅びる。
2009年3月27日
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