野党にとって千載一遇のチャンスじゃないか?
TVで片山代議士が、「国や社会に対して責任を持つ教育が必要だ」と述べていた。中曽根さんも同じことを言っているそうだ。
たしかに国や社会に対して責任を持つことは大切だ。
しかし、それは、国や社会が上からの教育によって押し付けるものではない。
国とか社会とかは、個人と家庭の生産活動がスムーズに進み、それぞれの生命や財産が他人から脅かされないように、個人と家庭から委託されて存在するものである。
彼らの発言を聞いていると、日本はまだプロシア流の「上意下達式」の国家なんだなあと思わされる。
こういった国中心の考え方、国が方針を決めて、それを個々人に押し付けていくという考え方は、間違っており、それは、早晩行き詰まるだろう。
シートベルト・ヘルメット着用義務は、このような「おせっかい国家」を示す典型的な法律である。
個人が自分の責任で死のうが国にとってどうでもよい、ということがまだ分かっていないのだ。
「いや〜、tomiさん。それは無責任な国になれとっているのはないですか?」というかもしれないが、ある意味においてそうだ。
国には神に与えられた責務がある。聖書が規定する国家は、たとえ個人が、シートベルトやヘルメットに関して自分で選択した方法で死んだとしても、責任を負わない。
それは、国の責任ではなく、個人の責任である。個人が神に対して、または、自分自身、家族に対して負っている責任である。
このような責任の明確な区分をしないと、国は、容易に全体主義に陥り悪魔的になる。
北朝鮮や中国、旧ソ連、旧東欧を見なさい。どの国も、個人に対して「道徳的であること」「健康であること」を要求する。教育の内容もすべて国が指示する。旧ソ連では、体に有害だということで空手も禁じられていた。
事細かに個人の私生活まで干渉する国家、こういった神の代わりをするおせっかい国家から解放されることこそ、「聖書的自由」の意味するところである。
かつて日本も余計なおせっかいをして、カルトのような国であった。
教育の内容は厳しく決められ、何を拝むのかすら干渉された。個人の内面にずかずか国が入り込んだ。
今、「自由と責任の自立社会」に向かって進みつつある日本を、頭の古い連中がいっしょうけんめい妨害し、逆戻りさせようとしている。
小泉さんは言っていることとやっていることがかなり分裂しているが、それでも、理想とする部分の多くは正しい。郵政民営化も正しい。
今回のホリエモン逮捕も、老害である。本当に逮捕すべき人間は自分たちの中にワンサカいる。
たしかにホリエモンがルール違反をしたのは明らかだが、しかし、もし地検が本当に正義の味方であるならば、国や国民に対して本質的な部分で最も害を与えている人間をどうして挙げないのか、説明できるはずだ。誰が見ても、そちらのほうが先であることは明らかだ。
野党はホリエモンを応援した責任を与党に問うている。
先の年金未納問題にしても、どうしてこう瑣末な問題に足を止めるのかねえ。
もっと本質的な問題が山ほどあるじゃないか。もうほんとに日本の野党は、質が悪い、能力がない、人材が乏しい。
今自民は増税をもくろんでいるじゃないか。千載一遇のチャンスじゃないか。どうしてここを突っ込まない?
「小さな政府と言いながらなぜ増税するの?」と国民はみんな思っているんだ。どうしてここに攻撃の焦点を絞らない???
2006年1月30日
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