知的所有権について


<K様>
私は、現在大学で知的財産法を教えておりますが、全世界中この問題については、国々をはじめ色々な利害関係により、人間中心的な思想による複雑な問題を残しつつこれから困難な時代に突入するのではないかという心配すらあります。

私は、幸いに1996年当時留学中にイエス・キリストを受け入れました。今の関心は、聖書の観点から知的財産法の問題を眺めることです。しかし、まだ聖書についての知識も浅く何処から手を入れるべきか何も分かっておりません。

その中で、キリスト再建主義について、接する機会を得ましたことを感謝と喜びを持っております。

質問させて頂きますが、再建主義の中で人間が自ら作り上げるという知的創作物あるいは財産について、どのように判断されているのでしょうか。教えて頂ければ幸いです。

<tomi>
(1)
所有に関して、聖書が教える一つの側面は「所有権を尊重せよ」ということだと思います。

神は、人間が創作したものをその人の所有として認めておられます。

「なんじ、盗むなかれ。」との戒めは、この所有権を保証しています。

所有権は、それが知的であれ、物的であれ、保証されないと、人々から労働の意欲が失われてしまい、文明の発展を期待できなくなります。

ソ連や中国、北朝鮮、東ドイツなど社会主義の国では、「共有」が強調され、個人所有権の概念が確立されていません(でした)。そのため、たとえば、ソ連では、レストランの職場で一番おいしい部分の肉は職員にもっていかれるということが普通にありました。また、中国ではカンニングが合法であるかどうかという議論がありました。実際、中国人のカンニング事件をよく耳にします。

こういった所有権が明確ではない社会では、自分の努力が実を結びにくいため、結局のところ、まじめに働くよりも、泥棒をしたほうが得だということになり、道徳が廃れて、社会が非常に堕落します。

社会や文明の発展にとって、「なんじ、盗むなかれ」との法は、必要不可欠であり、これをいかに大切にできるかによってその社会の進展のスピードが変わってきます。

もう一つの側面は、「分け与える」ということです。

「彼は散らした。その義は永遠に残る」とあるように、聖書において、金持ちは、そのお金を自分で我欲のためだけに使うのではなく、神と人とのために使えと命令されています。それは、究極の所有者が神だからです。お金や持ち物は、神から与えられたものであり、最後に決算報告をしなければならないという思想が聖書にあるからです。

聖書において、神はあたかも株主のようです。人間は、経営者として生まれてきて、株主から提供された資金を運用する責任を与えられます。ですから、株主である神の御心にかなった使い方をしなければ、株主総会である死後の審判において神に問い詰められます。

自分のお金、家族、持ち物、思想、教育…いっさい神が自分に与えられたものですから、すべてについて最後にその使用結果について評価されます。

神が望んでおられる社会とは、「持てる者が持てない者に奉仕する」社会です。

この側面は、けっしてマルクス主義ではありません。マルクス主義は、「その金持ちから奪って、みんなに配分せよ」と言います。これは、明らかに「盗むなかれ」に違反しています。

聖書における共有とは、あくまでも「自発的」です。

金持ちが自分の判断で、共有すべき人間を選びつつ、分け与えることが命令されています。

金を儲けるということは、概して、自己コントロールと優れた判断力、勤勉、熱意が必要です。成功者には、このような資質が備わっていることが多いのです。ですから、金持ちが社会において、自分の金銭を投資したり、分配するイニシアチブを持てば、その金持ちがよしとする人々に金が渡り、自分と同じような「自己コントロールと優れた判断力、勤勉、熱意」を持つ人々の手に資金が渡り、社会が活性化し、社会と文明の進歩が加速化します。

しかし、マルクス主義の場合、国が強制的に金持ちから奪って、それをその人が意図していない人々に分配するので、結局、「自己コントロールと優れた判断力、勤勉、熱意」のない人々に分散され、無駄に使われる可能性が高くなります。

社会主義の国々が1世紀ももたずにつぶれたことから見ても、所有権の概念がいかに大切であるか分かると思います。

(2)
すべて形あるものは、形のない思想から生まれているというのが聖書の主張です。

世界は「ことば」によって作られました。

すべての自然物は、神の思想の具体化であり、すべての人工物は、人間の思想の具体化です。

ビル・橋梁・楽曲にしても、何にしても、まず人間の頭の中に設計プランが描かれます。

宇宙のすべては人格者(神と人)の思想によって存在するということができます。

ですから、人間の頭に思い浮かぶアイデアやメロディは、その人固有の重要な財産として認められなければなりません。

ただし、聖書によれば、有益なインスピレーションも神から来るのですから(「いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。 」(1コリント4・7))、究極的にはアイデアも神の所有物ですから、神の御心に従わせなければなりません。

 

 

2005年7月23日

 

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